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古今和歌集《1》

さぼ郎
図書館が放出した本に「古今和歌集」がありましたので、もらってきました。「さ・え・ら書房」という出版社の本出す。

古今和歌集

図書館を調べてみても、同じ本がありません。貸出実績があまりに低くて放出になったのでしょう。学生時代の古典・漢文は地獄でしたが爺になってみると、使いもしない英語などよりも、ずっと、自分にとって有用な気がしています。

冒頭で若干の説明があります。

まず、「和歌」。「和歌」には「短歌」「長歌」「旋頭歌」「片歌」などに分かれるとあります。

短歌」は、五七五七七。「長歌」は五七を3度以上繰り返して七で止めるもの。「旋頭歌」は五七七を2度繰り返すもの。「片歌」は、五七七だけで終わるもの。

このいずれもが「和歌」なのだそうです。古くは「やまとうた」と呼ばれていたようですが、中国から漢詩などが入ることで「からうた」に対抗するために「和歌」としたようです。

著者の平井卓郎さんは、日本文学の原点が和歌であり、和歌を深く理解することが日本文学を本当に知る基礎であり、日常生活を豊かにしてくれるものとなるはずであるとして筆を執ったと書かれています。

和歌の前に「詞書」が付いているものがあり、古い歌に多いが、詞書がなければ通じないようでは歌として本格的なものではないと言います。

道元の和歌にも詞書が多くついていますが、詞書がないと単に自然礼賛の歌かと思ってしまいますが、詞書によって、もっと深い意味、人生観のような意味が汲み取れるので、あながち、和歌の世界だけに拘る必要もないようには思います。

古今和歌集」という名称は、万葉集の作られたい時代と、古今集が作られた「」の時代の和歌集ということから「古今」という言葉が使われているのだそうです。

作られたのは平安時代前期の延喜5年(905)に醍醐天皇が紀友則、紀貫之らに命じて延喜13、4年頃に完成した、我が国債所の勅撰和歌集になるとのことです。

名前のわかってる作家は220人ほど。製作年代は150年にわたっているようです。

春

古今和歌集最初の歌は、

年のうち 春は来にけり 一年を 
去年とやいはむ 今年とやいはむ
在原元方》

意味

年内に春が来てしまったので、去年というべきか、それでも今年なのか

遠鏡 by 本居宣長

年内ニ春ガキタワイ  コレデハ  同ジ一年ノ内ヲ  去年ト云タモノデアラウカ  ヤツハリ  コトシト云タモノデアラウカ

昔の1ヶ月は小の月が29日、大の月が30日で、1年が354日だったのだそうです。となると、3年もすると1ヶ月ずれてくるので、閏月をいれたため、3年に1度、年内に立春が2度来てしまうことがあったようです。

太陰暦では1~3月が春、4~6月が夏、7~9月が秋、10~12月が冬と決めていたのだそうで、いわば「理屈」を中心に季節を謳っています。正岡子規は、そうした古今集を万葉集に比べてこき下ろしているそうなのです。

しかし、こうした傾向を「新風」として喜び向かえられた時代あったことも事実で、そうした時代背景を偲ぶことから、和歌の雰囲気を味わうことができるかも知れません。

古今集は、四季の歌を季節順に並べたのだそうです。よって、12月のうちに春が来た歌なので、この歌が一番最初に歌となったのだそうです。

世の中は「IT」だの、「マーケティング」だの横文字が礼賛され横行しています。新聞や雑誌の記事でカタカナの言葉抜きには紙面が埋まりません。

アメリカ人のマネをしてスピーカーに話しかけると、スピーカーが何かをしてくれるのだそうですが、「似合う」「似合わない」から考えてほしいものです。

スマートスピーカー
「スマートスピーカー」の記事にリンク ↑

挙げ句には小学生から英語を学ばせ、片方では「道徳」だそうです。夫婦して教育勅語に感動して、スキあらば国家神道の残骸である靖国神社に参拝しようとする内閣総理大臣夫妻において、こうした古典教育はどのように捉えられているのでしょうか。

彼らの古典は「日本書紀」だけなのでしょうか?


飛行機
飛行機の吐き出す排気ガスの二酸化炭素の量は、世界第7位の国に匹敵するのだそうです。2050年になれば世界第3位に匹敵するとのこと。

天気
左が曇りで右が晴れの天気の分かれ目
飾り巻き寿司
2階の「ふぉーうぃんず」の飾り巻き寿司 関恵先生
イメージ
撮ろうと思った瞬間に月を飛行機が横切りましたが手遅れの写真
「こんな感じだった想像の図」

蛇が好きな人って結構少ないような気がします。

禁断の実
wiki「禁断の実」にリンク ↑

アダムとイブにりんごを勧めたのが蛇で、
人間は必ず死ぬようになり、男には労働の苦役が、女には男に支配され出産の苦しみが、もたらされるようになった。蛇は神の呪いを受け地を這いずることになった
というのが神に対する不服従として「原罪」とされているそうです。絵を見ると蛇には手も足もあります。イブが先に食べたのでお股にはイチジクの葉が付いていますが、アダムはまだ食べていないので手で隠しています。

イチジクは前を隠したり、浣腸に使われたり、どうもシモのイメージが強い果物ですね。イチジクも神の逆鱗に触れたのでしょうか。

アダムは慌てて食べたので喉につかえ、それが日本で言う「喉仏」になったのだそうです。

ちなみに「喉仏」は、燃し場で最後に喉仏を拾って骨壷に入れますが、その形が仏様が座禅を組んでいるような形から「喉仏」と呼ばれるようになったとか。

手で隠すなら「」があるわけで、禁断の実を食べても食べなくても同じような気もしますが、「善悪の知恵の木」だそうで、善悪の知恵がつくと、まず、前を隠すわけです。

東京大学出て財務省の事務次官になって、セクハラするというのも、「知恵の木」の実を食べすぎたからかも知れません。

で、その蛇には、白亜紀以前辺りには四肢があったようです。それがなぜ、脚が退化したのかについては謎ですが、遺伝子としては「ZRS」という遺伝子の配列に鍵があるようです。

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