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禅宗と五山

さぼ郎
鎌倉時代や室町時代の宗教というと「禅宗」が深く関与してきます。そもそも、禅宗を日本に持ってきたのは誰かと言うと「栄西」だそうです。

栄西
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栄西は1141年に生まれ寂滅が1215年だそうです。14歳で比叡山で得度され、密教を学び、形骸化し貴族政争の具と堕落していた日本天台宗を立て直すべく、平家の庇護と期待を得て南宋に留学、禅を日本に持ち込みます。

禅が盛んになると天台宗から排斥を受けますが、栄西は真言宗との調和を保ったりしながら既存勢力との調和にも努力を重ねたようです。

禅が既存の宗派を否定するものではなく、仏法復興に重要であることを説きますが、京都での布教に限界を感じて鎌倉に下向し、幕府の庇護を得ようとしたようです。

1200年には北条政子が建立した寿福寺の重職として招聘されたり、2代將軍源頼家の援助により1202年には京都に建仁寺を建立します。

道元
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1200年に生まれた道元も、14歳で比叡山で得度し顕教を学びますが、栄西同様に、天台宗のあり方に疑問を感じ1217年に建仁寺で栄西の直弟子の明全のもとで修行します。

栄西が1215年に入滅しているので道元とで時間のズレがありますが、直接会っていた可能性があるらしいですが、もし、そうだとするなら1215年のことでしょうね。栄西74歳、道元14か15歳。

なにかがあって、道元は比叡山を出て建仁寺で修行することになります。

道元は1223年に、明全と共に宋で学ぶチャンスを得ます。1228年に帰国し建仁寺に戻りますが、その頃の建仁寺は退廃していていたため、深草に興聖寺を開くと入門者が増えだしたことが比叡山を刺激し、弾圧を受けるようになります。

そんな頃に六波羅探題に来ていた鎌倉幕府の御家人の波多野義重の庇護と援助を受けて、波多野義重の知行地である福井に永平寺を作ります。

北条時頼
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永平寺を作る支援金は、波多野が鎌倉で集めたため、5代執権北条時頼に要請されて1248ー1249年の半年間、鎌倉に下向しています。このことが、鎌倉幕府、室町幕府における禅宗の隆盛に繋がるようです。

北条時頼の評価は無学祖元、一山一寧などの禅僧が、その人徳、為政を高く評価している半面、江戸時代の本居宣長、新井白石は酷評しています。

道元は、権力には距離を置くこと、自然と一体になることを明確に考え、実践していたので半年で永平寺に戻っていますが、その影響の大きさは少なくなかったようです。

詳しいことは臨済宗の住職にでも聞かないと分かりませんが、道元が会った北条時頼により中国の五山の制にならって臨済宗の五山の制が始まるようです。

1386年には、室町幕府三代将軍足利義満が鎌倉五山と京都五山を制定し、その上に、五山之上として「南禅寺」を置いたのが、今に伝わっているのだそうです。

禅が与えた日本文化への影響は、とても大きいと思います。例えば、最澄が持ち帰ったとされる「」ですが、栄西が「再興」したとされています。

」や「天台宗」「真言宗」などは、言葉としての理解以上のものは何もありませんが、メコン川の源流が中国の奥地からラオス、ミャンマー、タイ、カンボジアを経てベトナムに流れてくるように、日本文化も悠久の時を経て現在に至っていることを改めて感じます。

道元は和歌の名手です。

世の中は何にたとへん水鳥の嘴ふる露に宿る月影

道元の言う「世の中」とは、植物や生物の摂理の世界全般を指すのだそうです。この和歌にはいくつかの見方があるようです。

人生は一瞬の光である」とする考え方。「砕け散る水滴の全てに月の光は宿る」とする考え方。ここでいう「」には、「」という意味になるようです。

月

宗教の深遠なる教えを紐解くには教養が足りていないので、踏み込む気はありません。中国から持ち込まれた漢籍を和語として訓読し、訓読のリズムと自然への一体感の中から和歌の文化が芽生えてくるのだろうことが、道元の和歌を見ていると、なんとなく分かってきます。

五七のリズムと、身近に感じる自然、そして、それを書きした溜めておく「」の力は、日本人を日本人たらしめる原点であると痛感します。

逆をいえば、本居宣長も言っていますが、今の世で、和歌の必要性があるのかは、日本文化との関わりから考えてみると結構大きな問題を提起するような気がします。

国家神道に日本人の源流を見出しているようでは、むしろ日本文化に深淵に触れようとする気持ちを希薄にしてしまうような気がします。

子供に英語を教える(少しでもマスターするなら)メリットとデメリットを考えると、アメリカ流競争主義の観点からすれば少しは有利になるかもしれません。

しかし、生まれて生きて死ぬ人生において、何が幸せかを考えた場合、「達成」、「成就」、「成功」、「勝利」、「自己実現」などとは無縁の世界にも、十分な幸福を見つけることが可能であり、そこに教育や教養の真価があるのではないでしょうか。

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