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地上でいちばん幸せな場所を探して

ナショナルジオグラフィック

さぼ郎
幸福は何かと聞かれて「あれ」と単一の回答が得られるわけではありません。たとえば、ワタシ場合は、レジでもらったお釣りの10円玉の中にギザ十があれば、世界で最もとは言わないけれど、その瞬間の10万番くらいの幸福を味わっているのではないでしょうか。

幸福
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世界幸福度報告書」という調査があるようで、2017年の日本は51位だそうです。上位は北欧諸国。続いてカナダ、ニュージーランド、オーストラリアなど。

アメリカが14位で宿敵大韓民国が55位です。

国連が毎年発表する「世界幸福度報告書」によると、幸福の75%は「信頼感」をはじめ「堅調な経済成長」「健康寿命」「良好な人間関係」「寛容さ」「自分に適した生き方をする自由」の6つの要因で決まるんだそうです。

ナショナルジオグラフィックでは、コスタリカ、デンマーク、シンガポールの3人それぞれの幸福について触れています。

しかし、小学校の時、友達の古野くんが「幸福という状態はあると思うか?」と聞かれて、ワタシは「あるのに決まっているじゃないか」と言ったら、彼は「幸福は、幸福に至る過程のことじゃないかな」なんて言っていました。

おとなになってから彼にその話をしたら、当人はお覚えていませんでしたけど、「幸福」は、一種の刺激でもあると思うのです。その意味では苦痛や快楽とさほど変わらないように思います。

毎日うまいものを食べていれば、いずれ、それがうまいものだとは思えなくなってフグの肝を舐めてみたりするのが人間です。

フグ

ずっと幸福だなんて事はありえる話ではなく、また、自分が不幸だと思っていたら、もっと不幸なヒトがいたり、幸福な夫婦が不倫をしていて破綻をしたり、飛ぶ鳥落とす勢いで稼いでいたベンチャーの社長がいきなり破綻したりすると、思わずうれしくなったりもします。

人の命は地球より重い」とはいうものの、NHKが作った「映像の世紀」を見る限りでは、レーニン、スターリン、毛沢東、ポルポト(殆どが共産主義政権)などは、人の命(特にブルジョワ、インテリ)は羽より軽いと感じていたとしか思えません。

地球

人の命が1銭5厘だった戦前は、牟田口廉也のように消耗品のように命を消耗して平然として、天寿を全うしています。

性善説とか性悪説などという言葉も、たまに耳にしますが、「善」とか「悪」は、道徳観から考えるものであって、道徳や社会性が身についていなければ、人間には性善や性悪もなく、単に生きるだけになります。

つまり、人間の本質には性善も性悪もないわけで、生まれたら生きて死ぬだけのことでしか無いわけです。幸福とか不幸なども、きっと、人間が勝手に作った尺度にしか過ぎないようにも思えます。

何かを為す人もいるだそろうし、なにも為さない人もいる。自分が何かを為すことで、不幸になる人がいるかもしれないし、同様に自分がなにも為さないことで幸福になる人もいるかもしれないわけで、特に権力を持つヒトには、その自覚を持ってもらいたいものだと思います。

が、えてして「権力」は、これまた、一種の刺激であって、往々にして麻痺するものだと歴史が証明しています。

話せば長くなりますので、適当なところでやめますが、日本に科挙が根付かなかったのは、なにより「世襲」を大切したからであることは自明です。しかし、「世襲」は悲しいかな優れた資質をいつまでも継承することは出来ないことは遺伝学が証明しています。

よって、権力を「世襲」する背景には、選りすぐりを配下において「忖度」させることになります。そのような実務階級が形成されだすのが、実は、後鳥羽上皇が鎌倉幕府に挑戦して逆に、北条義時・泰時に3上皇が島流しにあったあとの後嵯峨天皇あたりからだそうです。

明治になったときの日本の実力は、このような実務階級のパワーがあったればこそのことで、もちろん、文盲率の低さや江戸時代の寺小屋のチカラもあったとは思うのですが、実務層の知識や経験だけではなく使命感や道徳観があればこそだったと思うのです。

今の日本の、政権与党の内閣と官僚の関係を見ていると、隋・唐・宋・明・清と目まぐるしく権力闘争をしてきた中国の権力構造に似出しているような気もします。どこが似ているかというと、世襲を重ねているうちに皇帝の能力が低下してきて、それを忖度している士大夫の中から、自分が皇帝になろうとするような闘争が起きても不思議がないというあたりが似ていると感じます。

何が幸福かはワタシごときの凡庸な頭では皆目見当も付きませんが、いかなる境遇でも前向きに生きられれば、それでいいのかもと思っています。特段、世界一周も九州一周も死体とは思いませんし、ベンツやロレックスも欲しいとは思いません。

幸福

健康ならそれがいいけれど、病に倒れたとしたなら、それも仕方がないです。できれば、気分を分かち合える仲間が2人、3人もいれば、仮にそれが国連で幸福と言ってくれなくてもいいかもと思っているのも、何者も達成していないからこその思いじゃないでしょうか。

空

ある日の空。いかなるクリエイターよりも、天然自然の造形のほうが、大きな感動を与えてくれるのはなぜなのでしょう?

芸人集めてひな壇に座らせてMCといわれる大御所が仕切って笑わせる番組より、街に出て、面白そうな素人の人のほうがよっぽど面白いのはなぜなのでしょう?

だから、職業として政治をやっているヒトより、あんなにお金をかけて選挙をするのなら、もっと違う選出方法で、普通の人々に政治をやらせたほうが結果が良いのではないかと思っています。

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