PAGE TOP

あれこれ

印刷する

色々な見方

さぼ郎
ものごとには、いろいろな見方があって、そのいろいろな見方の多様性を知ろうとしないと、自分自身の考え方が知らないうちに偏向してしまいます。

その1 女性専用車両

日本でもすなる女性専用車両をイギリスの議員が提案したところ、「馬鹿げている」という意見のほうが多数派だったようです。

女性専用車両
記事にリンク ↑

その理由はいくつかあって、「対策を諦めている」「男はみんな性犯罪者であるという前提に立っている」「根本的な解決は女性の乗る車両ではない」「性別のアパルトヘイト」「女性が専用車両を使わないで被害にあったときは非難されるのかなどなど。

日本で、そのような議論って、ありましたっけ?

ワタシ的には、痴漢冤罪が減っていいのではないかと思っていました。朝だけでなく、朝から晩までずっとやっていて欲しいと思うくらいです。

しかし、そういう見方もあるのか というふうに考えたうえで、「自分ならどうなのよ」という風にして、ヒトの意見や考え方を受け入れなければいけないのだと思いました。

その2 北朝鮮のミサイルを迎撃しなかった理由

中国の報道で、日本が北朝鮮のミサイルを迎撃しなかった理由を述べているようです。

ミサイル
記事にリンク ↑

迎撃する必要がなかったうえに、迎撃したくもなかったためだ」とのことです。

まず、「高度が500キロメートルだったので、日本の領空というわけではなかった」「迎撃が技術的に100%というわけでもない」「迎撃を戦争行為と捉え、日本に対して敵意をさらに強める」。

下手なところで落としたら残骸がどこに落ちてくるかも不明で、かえってヤバイかもしれませんし、宣戦布告をしてくることだって否定できそうにありません。

では、なぜホリエモンがキレたJアラートを作動させたのかといえば「北朝鮮の脅威」を喧伝し、外部の圧力を通じて国民の支持を得たうえで政治に利用しようとしたため という見方を述べています。

北朝鮮が何かするたびに不安を煽ることが出来、憲法改正や軍事費の増大に対する国民のコンセンサスを取りやすくするというのは、ありと思います。

ちなみに、領空の定義。具体的に領空をどこまでの高度に設定するかについては諸説あります。
地球の大気圏の限界までとする説、
航空機が航空可能な最大高度までとする説、
飛翔体の浮揚力が空気力学によるものから遠心力またはケプラーの法則によるものにとって代わる高度までとする説、
人工衛星の最低軌道までとする説、
地球の重力の影響により境界を設定する説、
領空国の実効的支配が及ぶ高度までとする説、
領空と宇宙空間との間に緩衝区域を設定する説、
人類が生存可能な大気が存在する高度までとする説、
12カイリまでを限界とする領海の制度にならい上空12カイリまでの高度とする説
と見解が分かれているようです(wiki)。

法律ではどうなっているかというと、条約という形での規制は、今のところ無いのだそうです。条約以下としてカーマン・ラインというのがあるようで、「海抜高度100キロメートルのラインを宇宙空間と領空の境界とする」というのがるようです。

民法では、民間所有の領空300メートル以内の無断利用は不法行為になるのだそうですが、刑法で罰することは出来ないようです。

ついでに、地下方向の限界は大深度地下法により地表から40メートルまでが所有権の及ぶ限界になるようです。

その3 朝鮮人追悼文見送り

小池都知事が関東大震災で虐殺された朝鮮人への追悼文を送付しないことにしたそうです。

では、「実際に虐殺はあったのか」「朝鮮人はテロを仕組んだのか」が争点になるのだと思います。安倍政権のスポークスマンであり、戦前は軍部の手先だった読売新聞では、どういう報道なのかを調べてみました。

読売

さすがに権力の手先です。他の一般的な新聞の論調としては、「『大震災の時に朝鮮人が殺害された事実が否定されることになる』という批判があるが」という質問に対し小池都知事は「さまざまな歴史認識があろうかと思う」と応じました。

つまり、歴史的に起きたとされていることを「歴史認識」としていることが大きなポイントになります。

この考えは、安倍総理による2013年4月23日の国会で「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない。国と国との関係でどちらから見るかで違う」という発言にも通じる気がします。

しかし、現実には1974年12月の国連総会で採択された総会決議3314で「侵略の定義」は明確にされています。その第1条では、「侵略とは、国家による他の国家の主権、領土保全若(も)しくは政治的独立に対する、又は国際連合の憲章と両立しないその他の方法による武力の行使」であると明確に定義されているのだそうです。

安倍総理は、この決議は「安保理が侵略行為の存在を決定するためのいわば参考としてなされたもの」として過去の戦争には当てはめることはできないとし、過去に日本がアジア近隣に行った行為は、その時点では「侵略ではなかった」としています。

まさに、さまざまな歴史認識があろうかと思う」ところですが、過去に日本が行った戦争はポツダム宣言を受諾したように、国際連合憲章53条で日本、ドイツ、イタリアがとった政策を「侵略政策」と規定し、その「再現に備え…侵略を防止する」としています。

過去、田中首相も竹下首相も「後世の史家が評価すべき問題だ」「侵略戦争に対する学説は、たいへん多岐にわたっている。学問的に定義するのは非常に難しい」とした考えを安倍首相も踏襲し、安倍首相も誰に教わったのか「侵略の定義」について「歴史家、専門家に任せるべきだ」としています。

今回の小池都知事の発言も、まったく、それらを踏襲しており、いわば、白紙にすることから始めようとしていることは明らかです。

ワタシは、安易に小池都知事の今回の暴挙を批判するものではありません。小池都知事が、どれだけの右傾化思想の持ち主なのか、日本会議への傾倒がどれくらいのものであるのか、戦前回帰をどれほど願っているのかはまったくもって不明ですし、仮に、それらが相当に本気であったとしても、それも多様性の一つでしかありません。

しかし、政治的な地位を占めている偉い人の言動は、それなりの影響があるわけで、本人が取れる責任などはしれたもので(せいぜい、辞任、辞職。最大で割腹くらい)しかありませんが、国内の右傾化を助長させたり、国外の日本に対する敵視が増大したりすることまでをカバーしなければならないのが政治なわけで、ワタシのような凡愚が無責任な発言をするのとは根本的に異なるわけです。

彼らは政治的に人気を獲得しなければ選挙に勝てません。だからこそ、本意でないことでも公のためには、にこやかに発言しなければならないわけで、それが故に「公人」と言われる所以だと思います。公費を使って子供にマンガを買ってやるのは「私人」でしかなく、自分の主義主張を公の場で表明するのも「私人」でしか無いと思います。

実際に虐殺はあったのか」「朝鮮人はテロを仕組んだのか」の歴史的事実の調査はすべきであると同時に、そうした何らかの客観的事実が明るみに出ない限り、過去を踏襲するのが責任あるポストにある公人の努めではないでしょうか。

自分の思いを延べるのだけが多様性ではなく、多様性とは主張ではなく受容のことのような気がします。

キーワード