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あれこれ

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小説雑感

さぼ郎
図書館に入ったら新館コーナーに朝井まかてさんの「(くらら)」という本があったので借りてきました。

くらら

というのは、「朝井まかて」という名前に憶えがあったからです。帰ってきて調べたら「恋歌」という本をかつて読んでいたことが分かりました。

この「恋歌」というのは中島歌子が主人公で、この中島歌子の門弟が樋口一葉になるわけです。小説では、さほどに樋口一葉には触れておらず、中島歌子が水戸の天狗党の水戸藩氏と結婚することで、水戸藩の内部抗争に巻き込まれ、歌子自身も投獄されるというようなお話でした。

幕末獅子の思想的なバックボーンでもあった水戸学の発祥の藩だったのに幕末では全く活躍が見られませんでした。唯一といってもいいのが安政の大獄くらいだったことの背景に、この天狗党との内部対立を上げることが出ると思います。

で、ちょっと気になって「恋歌」の書評を調べてみたら

恋歌

総じて評判が良いようです。で、今回の「」は、何が題材なのか全くわからないで借りてきたのですが、どうも北斎と、その娘のお栄のことが描かれているようです。

で、お栄に関しては「百日紅(さるすべり)」という小説を杉浦日向子三が描いているというので、これはさっそく予約してみました。

この書評で思う所がありました。というのは、「TRUE DETECTIVE」というアメドラがあって、ゲオで借りてきて観たのですが、特にワタシ的にはシーズン2が面白かったです。

救いのない二人の刑事が犯罪に巻き込まれ腐敗した上層部の陰謀で犯人として手配されしまう。その街にカジノを経営しているギャングがいて、彼も土地めぐる市や州の上層部の利権やロシア系のギャングの罠にハマって追い詰められる。

true ditective
書評の記事にリンク ↑

で、刑事の一人はヤクザの女房とベネズエラに逃げられるが、もう一人の刑事とヤクザは殺されて終わりとなります。どこにも救いのない、利権がらみの話なのですが、どういうわけか映像やセリフに共感を覚えてしまいました。

フランク

この画面は、手前でボケているのがフランクというギャングの幻想で、奥さんと会話しているシーンです。フランクはメキシコのギャングにお腹をナイフで刺されて瀕死の重症ですが、ベネズエラで2週間後に奥さんと会う約束を果たそうとしています。

死にかけているのに前に進もうとしています。そんな時に幻覚で奥さんが現れます。で、奥さんは「もう前に進まなくていい」というのですがフランクは「俺は前に進む」といいます。しかし、奥さんは「だって、あなたはもう止まっているじゃない」。で、フランクが振り返ると、フランクは死んでいる というシーンです。

人が死ぬ寸前に脳内に一瞬、アルファ波が出るのだそうです。その一瞬に、ヒトは癒やしの愉悦を感じるようになっているみたいです。大方は、そのまま生還することはありませんが、たまたま、生還するヒトの半分以上は、天国を垣間見るようです。

フランクは、愛する奥さんが最後の最後に出てくるのですが、そのときは肉体は滅んでいて、意識だけが遊離しているというシーンは、なかなか感動モノでした。

この書評が、アメリカでも日本でも、とても悪いのに驚きました、ワタシ的にはむしろ、シーズン1のほうが駄作と思うのですが、世間では真逆のようです。

人の感想がこうも違うことに、とても興味を覚えます。また、それが多様性なのでしょう。

朝井まかてさんの「」を借りてきたのも、本当は「利休にたずねよ」を読んでいたのですが、山本謙一さんの本の書き方は、とてもうまいと思うものの、利休の美の世界を、あまりに礼賛し過ぎているような気がして、3分の1ほど読んだところで辟易としてしまったので、中断しようと思って借りてきました。

利休にたずねよ

大名茶から侘茶になっていくこと自体には、さもありなんと思いはしますが、その「」も度を越せば、大名茶と根本は同じように思います。

どこかのお寺に掲げてあった言葉ですが「正も固執すれば邪になる」と云うがごとくで、も固執すれば、やはりのような気がします。

とどのつまり、いかなアナログであろうが、ヒトが判断するという意味では結局は「イエス」か「ノー」(あるいは「」か「」、あるいは「」か「」、あるいは「」か「」)の2値でしかないわけで、加計学園問題を見ていて思ったのですが、政治家が利口者かウツケモノかは知りませんが、彼らにとってのイエス」か「ノー」は、東京大学をトップクラスで出た官僚たちにとってもイエス」か「ノー」でしかないわけで、利口者だろうがウツケモノだろうが、結局は、そのどちらかでしかないわけです

YouTubeやテレビの討論を見ていると、自らが賢いと自認している人の話の仕方には共通点があって、「自分はヒトとは違う」「自分は達観している」「真実を知っているのは自分だけだ」という論点から意気軒昂に申し述べるのですが、実は、本当に頭の良い人は、多数をして、自分と同じ意見になるような誘導ができる人のことじゃないかと思うのです。

なぜ、そういうことが言えるかというと、以前、某役所で公務員をしていた時、時々ですが、上級試験を受かってどんどん出世をしていく人の何人かと接したことがあるのですが、「お金に淡白」「自分の意見を得意満面に言わない」「下々に意見を言わせて自分の本意はさておいて、落としどころに結論を持っていく」ようなヒトが、出世が速かったように思います。

萩生田さんのように「権力」という密の味を思いっきりしゃぶり込んで、権力欲の権化のような顔をしていません。普通にしていたら本当に目立たないのですが、会議をやると、とても速やかにまとめる力があったように思います。

違うジャンルでいうなら、日本の芸能文化が高揚しようが俗悪低劣であろうが、ジャニーズやAKBのような大衆受けするサービスを世に出して大きなお金を動かす人が利口者だということであることをもっともっと参考にしなければ行けないと思います。

つまり、品質や価格とは全く別の次元で、ビジネスは動いているのに、品質や価格で勝負するのはお門違いであるということです。

何に対して主義主張を持つのか、「イエス」であることに高尚も低俗もないことを考えたら、どうやって低コストで多くの「イエス」を集めることができるかを考えるべきことに気が付かなければと遅まきながら思うのでした。

ビジネスはアイキャッチと集客に尽きるわけで、それが出来さえするなら、なんでも売ることができるわけですね。

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