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あれこれ

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漢詩について思うこと

さぼ郎
漢
漢は、中国の王朝である。通例、前漢(紀元前206年 - 8年)と後漢(25年 - 220年)の二つの王朝を総称して「漢王朝」と呼ばれる。
とのことです。卑弥呼が死んだのが247年か248年と言われているので、卑弥呼は後漢の終わり頃に生まれていることになります。

漢字」と云うくらいですから、この、漢王朝の時代に出来たのでしょう。wikiによれば、漢字が作られたとされるのが役3300年ほど前のことだそうですが、飛躍的に文字数が増えたのは「」の一つ前の「」の時代だそうです。

で、「漢詩」というと、高校の時、習ったのは「漢文」としてだったような記憶がありますが、「漢詩」とは後漢に確立した詩のスタイルだそうです。

漢詩のスタイルとして五言詩になっていくわけで、ワタシだけの間違った記憶だったようで、漢詩とは五言絶句とか七言絶句のことと思っていました。実際には、五言絶句、七言絶句のスタイルが確立してくるのは唐の時代なのだそうです。絶句は「唐詩」というカテゴリーになるようです。

唐といえば、隋の後の王朝になります。実際には「」のあとに「三国時代(魏・呉・蜀)」が来て、「」がきて「南北朝」がきて、やっと「」になります。

日出處天子致書日沒處天子無恙云云」という国書を小野妹子が持参したのは第二回遣隋使(607年)です。その後、3回ほど遣隋使を派遣しているうちに隋が無くなってしまって唐になるわけです。

南北朝では陶淵明が有名です。

結廬在人境 廬を結びて人境に在り
而無車馬喧 而も車馬の喧しき無し
問君何能爾 君に問う 何ぞ能く爾ると
心遠地自偏 心遠ければ 地 自ずから偏なり
採菊東籬下 菊を採る 東籬の下
悠然見南山 悠然として南山を見る
山氣日夕佳 山気 日夕に佳し
飛鳥相與還 飛鳥 相ひ与に還る
此中有眞意 此の中に真意有り
欲辯已忘言 弁ぜんと欲して已に言を忘る

人里に家を構えているが
しかし来客が車や馬の音にのって騒がしく訪れることもない
「なぜそんなことがありえるのか」と問われるが
心が世間から遠く離れているから、住んでいる土地も自然に人少ない趣きにかわるのだ
東の垣根の下で菊を摘むと
遠く遥かに廬山が目に入る
山の光景は夕方が特に素晴らしい
鳥たちが連れ立って山の巣に帰っていく
この光景に内にこそ、真実の境地が存在する
しかし、それをつぶさ説き明かそうとすると、言葉を忘れてしまうのだ

遣唐使は、企画も含めると20回あったようです。唐は比較的長い王朝で618年 - 907年までに約300年間を唐詩では4つの時代に区分けしているようです。

初唐」「盛唐」「中唐」「晩唐」。李白や杜甫は盛唐」に活躍しています。

アベはアベでも阿部仲麻呂(698-770)は第9界の遣唐使で唐に渡り、科挙に受かり李白とも友人関係だったそうで、阿部仲麻呂が日本へ帰る船が難破したときに、かの李白が詩を作っています。

海

日本晁卿辞帝都 日本の晁卿帝都を辞し
征帆一片遶蓬壷 征帆一片蓬壷を遶る
明月不帰沈碧海 明月は帰らず碧海に沈み
白雲愁色満蒼梧 白雲愁色蒼梧に満つ

日本の晁衡卿は帝都長安を離れ
「晁衡」とは阿部仲麻呂のこと
帆を張った舟は蓬莱山をめぐって行った。
明月のような君は青い海に沈んで帰らず
実は沈まずベトナムの漂着している
白雲がうかび、愁いが蒼梧に満ちている

ということで「唐詩」ですが、五言絶句も七言絶句も、漢字に使い方にはルールが有るのだそうです。それを「平仄」といいます。

こまかなルールの解説をするほど詳しいわけでもないので、それはやめて、基本的には2字と3字の組み合わせで作るようです。五言なら2+3で、七言なら2+2+3というわけです。

そのための辞書もあるのだそうです。中国では漢字は音読みしかしないため、その音韻もあるのだそうです。

で、唐詩の作り方に踏み込もうという話ではなく、要するに江戸時代までの、中級以上のインテリは「漢詩」や「唐詩」を作る素養があったわけです。そのことは奈良平安時代からのことで、室町時代の貴族においても、漢文、漢詩、唐詩は素養というよりも、義務であったわけです。

そのことは江戸時代まで継続したわけですが、それが途絶えるのが明治時代です。明治のインテリは、学びを中国から西洋に移したこと、また、当時の中国の王朝は「清」であり、学びの対象というよりは侵略の対象になってしまっています。

しかし、唐詩の「2+3」、「2+2+3」という漢字の使い方が、なにに利用されたかというと、西洋化する学問の和訳において、「和製漢語」が大活躍し、この「和製漢語」があったおかげで、日本の近代化がとてもスムーズに行うことが出来たわけです。

この話は、漢文や漢字という視点から掘り下げても、奈良平安の貴族という視点から掘り下げても、明治における「和製漢語」として掘り下げても、そもlそもの「日本語」として掘り下げても、とても興味深いことだと思います。
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wikiで「和製漢語」を調べても、このような感じですが、もっとたくさんあるはずで、その原点は、おそらく漢詩や唐詩、律詩などにあるような気がしています。

アベさんは、中国などに対して強気な姿勢が若者に人気があるような感じですが、かつてのアベさんを思い出し、「同じアベでも」という感慨に浸るのみいいかもしれません。

天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも

阿部仲麻呂の歌が百人一首に選ばれています。

阿部仲麻呂
wiki「阿部仲麻呂」にリンク ↑

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