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仕事選び

さぼ郎
仲間

食堂などで「美味いー不味い」「高い-安い」を2軸にしてプロットすると、「安い-美味い」が最高で「高い-不味い」が最低になります。

料理

で、「安いー不味い」と「高いー美味い」は値としてはイコールになります。だから、安い店に行くことが懸命で、なぜなら、不味くても仕方がないけれど、万一に美味ければラッキーなわけです。

逆に高い店に行けば、高くて美味ければ当たり前で、高くて不味ければ最低になるので、メリット(ハイリスク)はありません。

仕事で考えてみると、「なにをするか」と「誰とするか」を2軸で考えてみます。

仲間

楽しい仕事を楽しい仲間とする」なんて、可能性がかなり低いのが現実です。しかし、「嫌な仕事を嫌な仲間とする」のも、よほどの理由がない限りありえません。

となると、「楽しい仕事を嫌な仲間とする」か「嫌な仕事を楽しい仲間とする」のどちらかが一般的になります。

その昔、「嫌な管理者とやりがいのある仕事」と「思いやりのある管理者とやりがいのない仕事」とで、モチベーション調査をしたことがあります。

結果はどちらに軍配が上がったと思いますか?

答え:嫌な管理者とやりがいのある仕事

ワタシは「仕事がどんなにつまらなくても理解のある管理者」のほうがモチベーションが高いと思っていましたが、結果は逆でした。

実際に仕事をする人にとっては、管理者のファクターより労働そのものへの興味のほうがモチベーションをあげられるようです。

つまり、「楽しい仕事を嫌な仲間」とするほうが、「嫌な仕事を楽しい仲間」とするより、自己の労働へのモチベーションが上がるようです。

ここから分かることは、「仕事」と「仲間」を択一するなら頭では躊躇なく「仲間」を選びそうですが、意識・無意識の選択では仕事」を選択するということ

仕事

現実に、軽々に「仲間」とか「友達」などといいますが、実際に何を持って「仲間」「友達」というかですが、どれだけ腹を割って話ができるか、どれだけ親身になれるか、どれだけ相手のために犠牲を払うことを厭わないか を考えてみると、云うほどには「仲間」や「友達」はいないのが現実です。

家族を別にすると「」と呼ぶ人間関係は、やはり共にした「もっそう」の数に比例するような気がします。

上田秋成「雨月物語」の中の「菊花の約」では、病で苦しむ赤穴宗右衛門を丈部左門が助けます。二人は気があって、翌年の9月9日に会うことを約束して分かれますが、宗右衛門の主筋である塩谷が尼子になってしまっていて、幽閉されてしまう。

約束の9月9日になって左門の所に姿を表した宗右衛門は、実は命を絶った魂だったというわけです。

走れメロス」も命をかけた友情の話ですが、しかし、本当の友情なのかは自分的には疑問があります。友情のために命を書けたのではなく、命をかけることを友情としているような気もします。

あなたのために命を掛けてくれる「友人」は何人いますか?
あなたが命を掛けることを厭わない「友人」は何人いますか?

なにが「友情」かと問われれば、曖昧なことしか答えることが出来ませんが、気脈が通じる(と思える)というあたりであって、それが絆なのかは答えを用意することが出来ません。

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