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上皇の再即位認めず=退位後も大喪の礼

さぼ郎
大喪の礼
明治天皇の「大喪の礼」にリンク ↑

今生天皇が生前退位したいということから有識者とか言う人達が、何やら色々相談しているようです。

天皇の「譲位」を調べてみると、最初は皇極天皇だそうです。この方は再度天皇になっており、その時は斉明天皇としてだそうです。天智・天武天皇の母ですが、当時は「天皇」ではなく「すめみおやのみこと」のような呼び方だったようです。

その後、大宝令で「太上天皇」という名称が決まり、第一号が持統天皇だったのだそうです。「太上天皇」を略して「上皇」と云うようです。その後、半数近く(59人)の天皇が上皇になっているらしいです。

足利義満も死後、「太上天皇」の尊号を朝廷からもらったようですが、義持が辞退しているので、皇族外の太上天皇は今のところ出ていません。

かつては、天皇が退位したら自動的に「上皇」と「上皇后」になったようです。今回は一旦退位した上皇は、二度と天皇にはなれないとするようです。で、崩御したら、天皇と同様に「大喪の礼」で葬儀をするとのことです。

そこで「大喪の礼」を調べてみますと、明治天皇・大正天皇・昭和天皇の記事は出てきますが、それ以前のお話は中々見つかりません。
日本国憲法第7条
天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
国事として「儀式を行うこと」としています。というのは、宗教色を付けてはいけないということが有るので「儀式」としていますが、皇室典範では「大喪の礼」を行うように書かれています。

大喪の礼」は憲法によれば天皇のみが対象ですが、今回、上皇までをカバーすることになるようです。
皇室の葬儀は、飛鳥時代・奈良時代 - 江戸時代まで寺院にての仏式の葬儀が行われていたが、孝明天皇の三年祭の際に神式が復古され、神道式で執り行われるようになった。
とあるように、どうも孝明天皇から神式になったようで、それまでは仏式で火葬だったようです。

天皇親政」ということは過去に何回も起こっていますが、天皇を神がかりにして神格化したのは明治維新直前だったような感じです。

大喪儀」と言われる神道による皇室の私的な儀式があるようで、こちらは天皇だけではなく皇后、上皇后も含まれるようです。

ちなみに明治天皇・大正天皇は「大喪の礼」ではなく「大喪儀」で行ったようで、「大喪の礼」は昭和天皇のために作った戦後のルールのような気がします。「古式の」とか「伝統の」と言ってみたところで、なにを(どの時代を)根拠にしているのかは不明です。

歴史で習う南北朝ですが、明治時代に南朝が正統であるとした(明治天皇が)ようですが、その根拠も調べてみないとはっきりしたことが分かりません。ちなみに、今生天皇の系統は、後花園天皇から連なるようですので歴然とした「北朝」の系統になります。

林羅山の息子の時点では北朝が正統だったようですが、南朝が正統であるという説の大本は、水戸藩による「大日本史」が発端になるようです。水戸藩は吉宗に委ねたようですが、あからさまに北朝を「偽主」としておいて、後花園以降の天皇に差し障りがあるので、大日本史の朝廷献上を差し控えたようです。

明治になって帝国議会において「南北朝正閏論」が政治問題になり、明治天皇の裁断で南朝が正統になり、「南北朝時代」という呼び方をやめて「吉野町時代」というようになったとか。

後醍醐天皇
「後醍醐天皇」にリンク ↑

その根拠は、どうも「三種の神器」にありそうですが、これって、安徳天皇とともに瀬戸内海に沈んだはずでですが、このようなものが皇室の正当性を示すのなら「万世一系」という血筋の正当性はどうなのだろうと思ってしまいます。

万世一系」という言葉は岩倉具視の書いたものが初出だそうです。現実の皇統は一系などではなく、多岐にわたっています。北畠親房による「神皇正統記」では、先に生まれたかではなく能力を云々しているようですが、それだと「一系」の根拠が希薄になってしまいます。

色々と難しい問題を過去から引きずっているのも、日本には古来からの伝統あればこそのことなのでしょう(少なくとも大喪の礼は昭和のもののようですが、見た目は平安朝です)。

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