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あれこれ

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恋歌

さぼ郎
さてさて、「恋歌」とは、雅な言葉で心もうずきます。これは、朝井まかてさんが2014年に直木賞を取った小説のタイトルです。

朝井まかて
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まかてさんは、1956年生まれといいますから当年とって60歳位だと思いますが、こんなにうまいと思える小説は樋口一葉以来といっても過言ではありません。

樋口一葉の小説の旨さは、美事や麗句や細やかな所作の描写に優れているわけではなく、基本は五七調の流れるような文体に淡々と描く世界に、読むものを引き込むチカラがあると思うのですが、まかてさんの小説は、そういう趣とはちょっと違って、どうやって調べたの? と聞きたくなるような、ちょっとした「あるよね~」というような、あるいは「そうなんだ」と思わず感心してしまうような描写(想像力)が、とっても優れています。
私は気散じに長振袖の袂を引き寄せて膝の上にのせた。・・・「登世、十七にもなって袖で遊ぶんじゃありません」
見合いの席、といっても浅草市村座で三人吉三廓初買という芝居を見ながらの見合いのことで、役者は三代目岩井粂三郎 というような流れから中島歌子の物語が始まります。

中島歌子とは、三宅歌圃及び樋口一葉の和歌の師匠で、その歌子が結婚した相手は水戸の天狗党で、自害するに及び歌子も投獄されています。

中島歌子
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両親の実家が水戸藩や川越藩と付き合いがあったことなどから私塾「萩の舎」は大いに流行り最盛期には千人を超える門弟がいたそうです。

三宅花圃(田辺龍子)が「萩の舎」で17の時、「赤壁の賦」を口ずさんだら、その先を暗証したのが15歳の樋口一葉だったという三宅花圃の述懐があります。田辺龍子は、兄の法要をするお金がないと小耳に挟み、坪内逍遥の「当世書生気質」を読んで、これなら私にも書けるとして書いたのが「藪の鶯」で、これで当時33円になったそうです。

三宅歌圃
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この小説が、明治になってからの女性による初の近代小説になるそうで、一世を風靡したとのことで、歌人を目指していた樋口一葉もお金に困窮していたこともあって、三宅歌圃の影響により、小説を書くことを目指すこととなったようです。

まだ、「恋歌」は読み始めたばかりで、偉そうなことをいえませんが、中島歌子といい、三宅花圃といい、樋口一葉といい、相互の影響から素晴らしい世界を後世に残したものだとつくづく感心すると同時に、現代の朝井まかてさんがその世界を拾い上げて、創作をするという連携は素晴らしいと感じ入ります。

めぐりあう時間たち」という映画がありました。
「花は私が買って来るわ、とダロウェイ夫人が言った」(“Mrs. Dalloway said she would buy the flowers herself.”)。この書き出しから始まる小説『ダロウェイ夫人』を1925年に書いた女性作家ヴァージニア・ウルフは、1941年に夫レナードへ感謝と「私たち二人ほど幸せな二人はいない」と云う言葉を残して、川へ入水自殺する。


この映画も、1923年のヴァージニア・ウルフ、1951年のロス。2001年のニューヨークと、ウルフの書いた「ダロウェイ夫人」をめぐる3人の女性の生きざまを描いていますが、まさに、そんな小説になるのだろうかと楽しみにしています。

ヴァージニア・ウルフ
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このように明治という時代が、現在に投げかけるテーゼ。時代の中で失う価値、いまだに手にすることができる価値などを考えると、ひとえに現代の科学技術の進歩を諸手を挙げて礼賛することにもいささかの疑義が生じます。

ところで、昨今世間を騒がしている「教育勅語」問題ですが、正式には「教育ニ関スル勅語」というのらしいのですが、そもそもは山縣有朋が榎本武揚文部大臣に道徳教育の基本方針を作るように命じたのに対し、榎本が推進しなかったため榎本を更迭して山縣腹心の芳川顕正を文部大臣にして直後の原案を作成させた。芳川は、中村正直に依頼して原案を作るが井上毅が反対する。

そこで井上に依頼することで中村案を全て破棄して、井上が原案を作る。言葉は天皇が直接下賜する形を望んだが文部大臣名で下賜することとなる。

皇祖皇宗、つまり皇室の祖先が、日本の国家と日本国民の道徳を確立したと語り起こし、忠孝な民が団結してその道徳を実行してきたことが「国体の精華」であり、教育の起源なのであると規定するという内容のようです。

ところが、この教育勅語を奉読式において、嘱託教員だった内村鑑三が最敬礼をしなかったことで「内村鑑三不敬事件」という社会問題に発展することとなります。

内村鑑三
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急先鋒として攻撃したのが東京帝国大学の井上哲次郎。井上は森林太郎、北里柴三郎らと同期として博士号を授与されています。この井上が国家主義の立場から宗教(内村のキリスト教)に対する国家の優越を強力に主張したのだそうです。

これに対して植村正久は「勅語に対する拝礼などは憲法にも法律にも教育令にも見えないことで、事の大小を別とすれば運動会の申し合わせと同様のもの、このようなことが解職の理由になるのは不合理」と論陣を張っています。

元来、日本では神道と仏教が習合したり、キリスト教の大名がいたり宗教には肝要であるという通念がありますが、有る一点(特に天皇とか皇室)に触れると、恐るべき不寛容を示します。

内村の不敬を激しく攻撃した井上も、後に三種の神器のうち剣と鏡は模造であると著書に書いた部分が不敬であるとされ公職を辞職しています。

三宅歌圃が中島歌子の書いた書簡を整理することから中島歌子が水戸天狗党の林忠左衛門に恋をし結婚する流れから、ヴァージニア・ウルフの入水自殺、そして教育勅語にまつわる不敬事件など、とりとめもない話で恐縮です。

しかし、人生とは単に自分が誕生し死ぬまでの生き方でしか無いわけですが、自己を直視するような思想や信条との出会い、はたまた真っ直ぐで真摯な生き方こそが、自己に充足を与えてくれるような気がします。

いい加減に生きることこそが、自分を充足から遠ざけていることは分かってはいるのですが、真摯に没入すべき世界観が欠如していることに嘆息するばかりです。

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