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あれこれ

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赤壁の賦に思ふ

さぼ郎
」とは詩を作ることだそうです。「早春賦」と言うのもありました。



春は名のみの 風の寒さや
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず

大正2年に発表された詩にメロディーを付けて「日本の歌百選」に選ばれています。

赤壁の賦
中国、宋代の詩人蘇軾(そしょく)作の韻文。1082年、蘇軾が流罪地黄州の長江に舟を浮かべて赤壁に遊び、それを漢代以来の韻文の一種である賦にうたった「前赤壁の賦」と「後赤壁の賦」をあわせての称。

とのことで、
壬戌(じんじゅつ)の秋、七月既望(きぼう)、蘇子(そし)客と舟を泛(うか)べて、赤壁の下に遊ぶ。 
清風徐(おもむろ)に来たりて、水波興(おこ)らず。 
酒を挙げて客に属(すす)め、明月の詩を誦(しょう)し、窈窕(ようちょう)の章を歌ふ。 
少焉(しばらく)にして、月東山の上に出で、斗牛の間に徘徊す。 
白露江に横たはり、水光天に接す。 
一葦(いちい)の如(ゆ)く所を縦(ほしいまま)にして、万頃(ばんけい)の茫然たるを凌ぐ。 
浩浩乎(こうこうこ)として虚に馮(よ)り風に御して、其の止まる所を知らずがごとく、飄飄乎(ひょうひょうこ)として世を遺(わす)れて独立し、羽化して登仙するがごとし。 

1082年の秋、7月16日、私(蘇子)は客人とともに小舟を浮かべて、赤壁の辺りで遊んだ。
さわやかな風がゆるやかに吹いて来て、水面には波も起きていない。
酒をかかげて客人に勧め、名月の詩を読誦し、窈窕の章を歌った。
しばらくして、月が東の山の上に出て、東南の空の辺りを動いている。
きらきらと光るもやが長江の水面に広がり、その水面の輝きは天と接している。
一本の葦のような小舟が行く所をまかせて、広々とした果てしない景色の中を進んで行く。
どこまでも限りなく、空の中に浮かび風に乗って、とどまる所を知らないかのようで、ふわふわと浮かんで、俗世を忘れてたった一人で、羽がはえて仙人になって天に登るかのようである。

と云うような抒情詩ですが、後半になると長江の水がこれだけ流れているのに水がなくなることはないし、満ちたり欠けたりする月が今より小さくなったりもせず、大きくもなりもしない。

「変ずるものから見れば」天地は一瞬たりとも同じ状態ではなく、「変ぜざるものより見れば」ワタシもあなたも変わることのない友情で結ばれている。長江を流れる風の音の聞き、川に映る月の美しさも尽きることはない。

ワタシたちの祖先は、このような漢詩を学び、それを訓で読み、想像力を身に着けてきたように思うのです。

ここで、「赤壁の賦」を取り上げたのには、実は理由があります。

田辺龍子(三宅花圃)は「思い出の人々」という自伝の中で、「萩の舎」の月例会で、友人と床の間の前で寿司の配膳を待ちながら「清風徐ろに吹来つて水波起らず」という赤壁の賦の一節を読み上げていたら、給仕をしていた猫背の女が「酒を挙げて客に属し、明日の詩を誦し窈窕の章を歌ふ」と口ずさんだ という、その猫背の女とは、何を隠そう、樋口一葉でした。

このとき、三宅花圃18で樋口一葉15です。中宮定子が清少納言に「香炉峰の雪」を尋ねたら簾を上げてみたのにも似ています。清少納言が白居易の「白氏文集」に精通していなければできないマネなわけで、15歳の樋口一葉が蘇軾の赤壁の賦」に精通していたわけです。

世の中はトランプ大統領や人工知能に関するニュースで騒がしいですが、実は、もっともっと大きな広がりを持つのは、実は自己の情緒の世界のような気がします。風の音、月の明かりを愛でることができることも重要ではありますが、日本や中国の古典から、そうした先人たちの感じ得た感性に触れることも重要なことのように思うような歳になってきました。

情緒の豊かさには賢愚も、貧富も、美醜も全く関与のない世界なわけで、そして最も人生の豊かさに直結している世界であると思っています。

そういえば、能面を彫っている知人に紹介したのですが、国立博物館の法隆寺館に収蔵されている伎楽面が年に3回公開されます。正倉院のお宝は8世紀が中心なのだそうですが、法隆寺館のお宝は7世紀が中心(いまから1400年も前)になるようです。

なかでも木彫りの伎楽面が1400年を経ても、完全な形で残っているのはとても貴重なことと思います。

今年の第一回目の公開は3月14日から4月9日までだそうです。

伎楽面
wiki「伎楽面」にリンク ↑

日本書紀には、
百済人味摩之帰化けり、曰はく、「呉に学びて伎楽の舞を得たり」、即ち桜井に安置らしめて少年を集へて、伎楽の舞を習はしむ
推古天皇612年の記事だそうです。百済の帰化人が、奈良の桜井に少年を集めて伎楽の舞を教えたというあたりに伝わったお面なのでしょうね。

桜井と言えば卑弥呼のお墓と言われる古墳(箸墓古墳)があります。

お金になることにはつまらぬことが多く、お金にならないことに面白いことがたくさんあるような気がしますが、所詮、貧乏人の遠吠えです。

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