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視点

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2極化という極

さぼ郎
本当は自主調査の第四弾としてクロス集計を扱いたかったのですが、クロス集計をすると表が分散され、そもそもの得票数が少ないと、傾向が顕著になりすぎてあまり意味を持ちそうもなかったのでやめました。

指針盤分析ツール」にはクロス集計機能も標準でついています。このクロス集計は、2軸4象限に使用した設問の中でも特に注目して細かく見てみようとするときには、とても便利かつ強力なツールです。

クロス集計

例えば、上記のグラフでは、「性別」と「年代」をクロス集計していますが、その際に、「資本主義と民主主義」が「両立する」と考えるグループと「両立しない」と考えるグループを対比させて、全設問に対して総クロス集計をします。

票数があまりにも少ないので、このグラフ自体の意味は希薄ですが、このようにして簡単な操作でクロス集計をしながら問題の核心に迫ることが可能であるということをいいたかっただけです。

そこに解決したい問題があるのか」「その問題に関した意見が聞き取れるのか」「問題解決に対する仮説を持っているのか

このあたりがクリアになっているなら、効果な統計ソフトや、分析の専門家に依頼する前段階としてエンドユーザーが直接仮説検証できるような仕組みとして「指針盤」は強力なサポートができるという宣伝でした。



さて、トランプさんが大統領になることでアメリカの国内が二分化されているのだそうです。

二分 というと、日本では平家と源氏が典型で、いまでも運動会は紅組と白組が戦うことになっています。そんな対立する「」を考えてみます。ちなみに「南極」と「北極」は、「南北」という対立軸を「極めて」いるわけです。しかし「西極」「東極」とはいいません。なぜなら、西の極み」は東であり、東も極み」は西であって、極めるところが無いからです。

白黒」:「black and white」とするなら人種問題になってしまいます。また、「白か黒」であって、「白と黒」ではありません。

日本人が「白黒」という場面では「真偽」「是非」を問う場合になります。都々逸には「 白だ黒だとけんかはおよし 白という字も墨で書く」なんてのもあります。



是非」:「right and (or) wrong」。太平記などをDVDで見ていると武士のセリフとして「是非もない」などと言う場面が結構あります。「ことの是非を論じるまでもない」という意味と思います。信長公記にも信長が本能寺で明智に襲われた時に是非に及ばず」というのだそうです。

勝負」:あるいは「勝敗」。これも勝ったものと負けたもので運命は別れます。英語の単語では「game」「match」。これでは二分するイメージが乏しいです。

愛憎」:「love and hate」。ま、そのまんまですが、愛と憎しみって、表と裏の関係のようで、良寛さんの「裏を見せ 表を見せて 散る紅葉」などという句は、まさに人の生きざまを示しています。

寒暖」:「heat and cold」。ま、そのまんまです。今のヒトはあまり「寒暖計」などとはいわないのでしょうか。

好悪」:「like and dislike」だと。
善悪」:「right and wrong」だと。言語として、とってもプアー(貧困)ですね。

動静」:「condition」とか「movement」じゃ、動静のニュアンスは伝えられません。動いたり、沈思黙考するありさまを伝えられなければ、意味がありません。

生死」:「life and([or) death」。「生死の境」は「hover between life and death」だそうで、なんだか徘徊老人のような感じになってしまいます。

苦楽」:「joy(s) and sorrow(s)」。「苦楽」を共にするとなれば、大方は「伴侶」のことになります。なかには「」だけを共にするケースも有るでしょうが、「」だけを共にするケースは滅多になさそうです。「楽」だけの人生は、きっと、「苦」になるようにできているのかもしれません。

遠近」:「places both near and far」。←これって、馬鹿ですよね。たしかに近い所と遠いところではありますが、「おちこち」とも読みます。その場合で考えてみると、単に距離のことではなく、時間のことでもあります。両口屋是清の「をちこち」なんてお菓子もあります。

他にもたくさんあるのでしょう。このような言い方を、漢字の元祖である中国では、どのように表記するのかは分かりません。

しかし、たった2つの対立する漢字で、瞬時に「そのこと」をイメージすることができる日本語が、英語などと比較にならないほどに秀逸な言語であるということです。

通常、「学ぶ」ということは単に知らないから学ぶのではなく、より優秀な次元に到達するために学ぶのだと思うのですが、たったこれだけのことを見ても、劣っていることが歴然としている言語を学ぶ必要を、ワタシは感じません。

それでも子供のうちから「学ぶ」のは、よほどのメリットが有るからなのでしょうけれど、そのメリットは少なくとも「言語」としての優位性ではなく、「言語を駆使して得られる経済効果」でしかないように思います。

そんなことで、人間が浅薄になって行くことの損失を考えると、とても虚しい気がします。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
これは「平家物語」の冒頭の部分で、高校の古典で習います。南北朝から室町時代にかけて、一つの画期として「文字」の普及が有るのだそうですが、琵琶法師による「平家物語」が庶民に与えた影響は、とても大きかったようです。
廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝に燈火うつる三階の騷ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行來にはかり知られぬ全盛をうらなひて、大音寺前と名は佛くさけれど、さりとは陽氣の町と住みたる人の申き、三嶋神社の角をまがりてより是れぞと見ゆる大厦もなく、、、
樋口一葉の「たけくらべ」のい冒頭です。110年前に雑誌に掲載されたそうです。どちらも基本的には五七調になっていて、流れるように読むことができます。

樋口一葉

主人公の1人である美登利が、終わりの頃に急に元気がなくなるシーンが描かれています。研究者によりますと「初潮」を迎え、嫌も応もなく大人になることの自覚は、彼女の場合は水揚げに直結していることと思うのですが、このことにおいても論争が有るようです。

しかし、著者に聞くこともできないことを論争することのほうが馬鹿げており、読んだヒトがなにを感じるかでしか無いと思います。

五七調という特性も日本語ならではであり、万葉の時代からの日本語のリズムと思います。文字がなかった時代は稗田阿礼のような記憶力の特に良い人が暗誦して文章を云い伝えたわけで、そんな中から記憶しやすい五七調が生まれたのではないでしょうか。
時有舎人。姓稗田、名阿礼、年是二十八。為人聡明、度目誦口、払耳勒心。即、勅語阿礼、令誦習帝皇日継及先代旧辞。
明治期の知識人が外来の言葉を漢字の熟語に置き換えることができたのは、ひとえに漢文の素養であったと思いますが、それとて漢字の音訓読みがあればこそのことだったように思います。

カタカナ言葉が横行する昨今において、いかに、漢字に置き換える能力が低下しているかに尽きますが、このことは抽象化の能力の低下と等しいわけで、そこに抽象化の能力の低い英語を教育することで、おそらく日本人の言語能力はさらに低下していくのだろうと思うと、少し残念な気がします。

ほかにも、「往復」「緩急」「吉凶」「玉石」「去就」「屈伸」「慶弔」「巧稚」「興亡」「賛否」「始終」「主従」「取捨」「首尾」「賞罰」「真偽」「伸縮」「清濁」「難易」「濃淡」「美醜」「浮沈」「抑揚」「老若」など、結構普通に使っていますが、対立する意味を合わせて一つの単語にしているなんて、日本語は洒落ていますよね。

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