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後醍醐帝を女性の角度から調べてみると

さぼ郎
鎌倉時代後期から南北朝時代初期にかけての第96代天皇

後醍醐帝
wiki「後醍醐帝」にリンク ↑

南朝の初代天皇

歴史的事実としては在位途中に二度の廃位と譲位を経ている

鎌倉幕府を倒して建武新政を実施したものの、間もなく足利尊氏の離反に遭ったために大和吉野へ入り、南朝政権(吉野朝廷)を樹立。

ようするに北朝の光巌上皇と光明帝が朝廷を司っているため、後醍醐帝は吉野に朝廷を樹立し、南北の両朝が並立していた。

足利尊氏が裏切って北朝についたり、弟の直義が南朝についたり、その直義を討つために尊氏が今度は南朝についたりとめまぐるしい時代でもありました。

幕末頃の頼山陽から、さんざん、逆賊と呼ばれ木像の首を晒し者にされたりしていますが、ワタシとしては、たしかに武士としてはイサギが良くない感も受けますが、それより弟の直義との敵対や、息子の直冬の扱いなどに疑問を感じています。

wikiによれば、楠木正成も湊川の戦いの直前には、
社会の混乱の全ては後醍醐天皇の政治にあること、
社会を静めるにはもう公家政治では無理であること
武家政治の中心となれるのは足利尊氏以外にいないこと
などを考えていたようです。

正成は、
後醍醐天皇に義貞を切り捨てて尊氏と和睦するよう進言
したけれど容認されず、
次善の策として
京都から朝廷を一時退避して足利軍を京都で迎え撃つ策
も却下されてしまう。

絶望的な状況下、義貞の麾下で京都を出て戦うよう出陣を命じられ、湊川で足利軍と戦うが敗れ、弟・正季と共に、自害して果てた。享年43。

という事になります。

wikiで調べたら、後醍醐天皇のご活躍の側面を見ることが出来ました。
皇后:藤原(西園寺)禧子(後京極院、1303-1333) - 西園寺実兼女
皇女(1314-?)
皇女:懽子内親王(宣政門院、1315-1362) - 光厳天皇後宮
皇后:珣子内親王(新室町院、1311-1337) - 後伏見天皇皇女
皇女(1335-?) - 南朝系図は幸子内親王とする
女御:藤原(二条)栄子(安福殿) - 二条道平女
典侍:藤原(五辻)親子(中納言典侍) - 五辻宗親女
皇子:満良親王(花園宮・常陸親王?)
典侍:源氏(大納言典侍) - 北畠師重女
典侍:藤原氏(新按察典侍) - 持明院保藤女
典侍:某氏(帥典侍讃岐) - 父不詳
掌侍:藤原氏(勾当内侍) - 世尊寺経尹女
皇女
掌侍:菅原氏(少将内侍) - 菅原在仲女
皇子:聖助法親王 - 聖護院
後宮:藤原(阿野)廉子(三位局、新待賢門院 1301-1359)
皇子:恒良親王(1325-1338) - 後醍醐天皇皇太子
皇子:成良親王(1326-1344) - 征夷大将軍、光明天皇皇太子
皇子:義良親王(後村上天皇、1328-1368)
皇女:祥子内親王 - 斎宮
皇女:惟子内親王 - 今林尼衆
皇女:新宣陽門院 - 『大日本史』は後村上天皇皇女とする
後宮:源(北畠)親子(民部卿三位) - 北畠師親女
皇子:護良親王(尊雲法親王・大塔宮、1308-1335)征夷大将軍
皇女:姚子内親王 - 今林尼衆
皇子 - 南朝系図は尊性法親王とする
皇女 - 近衛基嗣室
後宮:藤原(二条)為子(権大納言局) - 二条為世女
皇子:尊良親王(一宮、?-1337)
皇子:宗良親王(尊澄法親王、1311-1385?)征夷大将軍
皇女:瓊子内親王(1316-1339)
皇女
後宮:藤原(洞院)実子 - 洞院実雄女
皇女
後宮:藤原(洞院)守子(1303-1357) - 洞院実泰女
皇子:玄円法親王(?-1348) - 一乗院
皇子:最恵法親王 - 妙法院
後宮:憙子内親王?(昭慶門院、1270-1324) - 亀山天皇皇女
皇子:恒性(越中宮、1305-1333) - 大覚寺
皇子:無文元選(1323-1390) - 遠江方広寺開山
後宮:藤原氏(権大納言三位局・霊照院、?-1351) - 二条為道女
皇子:法仁法親王(躬良親王、1325-1352) - 大聖院
皇子:懐良親王(鎮西宮・筑紫宮、1329-1383) - 征西将軍
皇女
後宮:藤原氏(遊義門院一条局) - 橋本実俊女
皇子:世良親王(?-1330)
皇子:静尊法親王(恵尊法親王) - 聖護院
皇女:欣子内親王 - 准三后
後宮:藤原氏(少納言内侍) - 四条隆資女
皇子:尊真(醍醐宮)
後宮:藤原氏(大納言局) - 洞院公敏女、一説に正親町実明女
皇女 - 南朝系図は瑜子内親王とする
後宮:藤原氏(左衛門督局) - 二条為忠女?
皇女 - 今林尼衆
後宮:藤原氏(権中納言局) - 洞院公泰女?
皇女 - 南朝系図は貞子内親王とする
後宮:藤原氏 - 吉田定房女
後宮:藤原氏?(坊門局) - 坊門清忠女?
皇女:(用堂?)
後宮:源氏 - 堀川基時女
皇女
後宮:源康子(飛鳥井局・延政門院播磨) - 源康持女
後宮:源氏(若水局) - 源康持女、康子妹
後宮:源氏 - 堀口貞義女?
皇女 - 吉水院宗信妻、尊寿丸母
後宮:某氏(昭訓門院近衛局) - 父不詳
皇子:知良王 - 『南朝紹運図』は守永親王と同一人とする
生母不詳
皇女:用堂(?-1396) - 東慶寺5世住持
皇女 - 六条有房室、上記何れの皇女か不明
皇子:竜泉令淬(?-1366) - 万寿寺住持
皇子:賢光 光遍寺5代住職

と、まぁ、お盛んなことです。

昨日見た「太平記」の第16話でも、隠岐に配流されるのですが、阿部廉子と小宰相という女性を同行し、小宰相と後醍醐の秘め事を盗み見て阿部廉子が嫉妬する場面がありました。

養育費や教育費を考えなくてもいいのですから気楽なものです、また、女性も男の子を生みさえすれば、いずれは天皇の母になれる可能性が有るのですから需要と供給はバランスしています。

ただし養うのは国費です。

皇后が2人
女御が1人
掌侍が2人
典侍が4人
後宮が19人

分かっているだけで28人に上ります。生母不明の子供もいるわけですから、分かっていないところでは、プラス5人や10人では収まらないかもしれません。

皇子が21人、皇女が22人

皇后」は、帝の正妻になります。「典侍」と「掌侍」は、後宮を司るちょっと偉い女官のようです。「女御」は、皇后・中宮に継ぐポスト。

後宮」というのは、wikiで調べる限りでは、階級ではなくハレムのことで、江戸時代で云うなら「大奥」のような意味として書かれていますが、おそらく大奥のお女中のことと思います。その「後宮」へのお手つきが一番多いようです。

NHK大河の「太平記」でも、武田鉄矢演じる楠木正成と真田広之演じる足利尊氏のセリフから判断しても、両者は通じ合うものがあったようで、これは、ほぼ、史実のようです。

「足利は逆賊である」というような単純化した見方ではなく、南北朝という時代が室町時代を招いたとするなら、その南北朝という時代が求めていたものはなんであったのかを知ろうとすると、また、見え方が変わってくような気がします。

足利が逆賊であるという「皇国史観」よりも、尊氏と直義(直冬含む)が骨肉の争いをするようになる過程のほうが、ワタシ的には興味があります。

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