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ニューイヤーコンサート

さぼ郎
豊島区管弦楽団のニューイヤーコンサートに行ってきました。

豊島区管弦楽団

とてもアマチュアのオーケストラとは思えない演奏でした。また、場所も池袋の東京芸術劇場なので、とってもゴージャスでした。そのうえ、全席指定。

東京芸術劇場

演奏はコープランド、ガーシュインとアメリカ物が前半で、後半はヨハン・シュトラウスなどのワルツや舞踏会物で、とっても素晴らしい新年を迎えられそうです。

コープランドの「Fanfare of the Common Man」は、トランペットと打楽器での印象的な音楽です。



いままで聞いたことがなくて、「ワォ」的だったのが「Belle of the Ball」。和名「舞踏会の美女」。しかし、洋の東西を問わず、美女が好きですね。



聞いたことがあったのかもしれませんが、真剣に聞いたのは初めてでした。

最後の「美しく青きドナウ」では、シンバルが落ちるというハプニングがありましたが、それも込みの生演奏です。

2階席でしたので下の方を見ると、白髪が3分の1くらいいました。意外にハゲが少ないですが、平均年齢は軽く60超えな感じでしたが、ほぼ、満席でした。

オーケストラの演奏を見ていると、このことはよく言われることなのですが、整然と各パートが役割をはたすことで、一つの音楽が奏でられてくるわけです。

朝、白バイが違反車を捕まえていましたが、白バイの隊員には役割が与えられていますが、その役割を果たすためには「訓練」「適正」「経験」などから、各隊員が自己練磨していくわけです。

警視総監や、それに類する人々は全く関知しなくても自律的に能力を向上させていくわけです。このことは、なにも白バイに限ることではなく、物づくりも、セールスもすべからく同様のことであることは自明です。

ともすれば、ノーベル賞とか、日銀の総裁や総理大臣などの、偉い人たちで社会が動いているように思ってしまいがちですが、彼らは役割上、単に目立っているだけでもあるわけです。

すべて世の中は、見えているのはほんの一部であって、見えていない部分の喜怒哀楽があればこその最上部なわけです。

オーケストラにおける指揮者も同様で、「彼いる」から奏でられるわけではなく、「彼いて」奏でられるわけです。

オーケストラに所属する人たちは、時間を見つけては練習をし、工夫をし、仲間たちと音を合わせ、お金を貯めるといい楽器に買い替えたりして、楽曲が精緻に奏でられるようになっていくわけで、まさに一見は他律的ではありますが、内実は自律的な仕組みで世の中は回っているのだと、改めて感心しました。

で、いい刺激をもらって、東京芸術劇場の道を挟んだお向かいにあるサイゼリアに向かいましたが、15時というハンパな時間にも関わらず、8組待ちだったので階下の「はなの舞」に行きました。

たまたま、コープランドやアンダーソンの音楽をYouTube で探していて「居酒屋」に関する動画を見つけました。

ニューヨークでは1000軒以上もあるようです。ニューヨークでの「居酒屋」の定義は「たいして意味もない話をする男たちがチビチビとつまみとお酒を楽しむ場所」とのことです。たしかに「当たっている!」。

海外の人達は、「一つの料理をみんなで共有して食べる」という習慣がないようです。また、通常、ニューヨークでは前菜をたのんでからメーンを頼むというような型が有るのに対して、居酒屋は好きなものをジャカスカ頼める自由が受けているようです。

こういうスタイルが「新しい」のだそうです。また、注文を取るヒトは普通にヒザマづきますが、これだけでも驚かれてしまうようです。さらに、メニューに写真を使っていることも驚きなのだそうです。

日本にしかいないと、日本の当たり前が外国では驚きになるわけで、とても視野が広がる思いでした。

最後に、
ヒロシという芸人が日めくりを出しているのだそうです。

ため息をつくと幸せ逃げる

人生相談などで、よく言うセリフですが、ヒロシによれば、

幸せじゃないからため息が出る

のだそうです。はたまた「逃げる幸せがないから躊躇せずため息がつける」と言うのもありですね。

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