PAGE TOP

視点

印刷する

無駄

さぼ郎
「無駄」とはどういう意味か調べました。

「駄」とは荷物を積んだ馬のことのようです。確かに「一駄」とか「ニ駄」のような言い方します。で、「無駄」とは空荷の馬のことを云うようです。荷を積まない馬にはメシを食わせるなということ。

馬

最近の生活で自分の行いのムダを考えてみると、まず、テレビ。

テレビは実につまらなくなりました。自分がテレビを必要なメディアとしなくなったのか、客観的にテレビの放映内容が低劣になっているのかは分かりませんが、殆ど見なくなりました。

見なくなって、どうということもないのですから自分にとっては「無駄」なメディアだったわけです。新聞もやめています。新聞は千葉県に住んでいる頃は、まず、地方版から読んでいましたが、東京に引っ越してからは地方版も馴染みがなく、一面記事読んでも自分との関わりは少なくて、中間の意味のないページも読まないので、やめました。

その分、結局、インターネットを弄っている時間が増えていることは間違いがありません。

だから、インターネット弄るのをやめるか減らせば、かなり時間の無駄を排除できるような気がしています。今の自分にとって客観的に「無駄」と断言できるのはインターネットです。

YouTubeでお笑いとか見ていてあっという間に1時間とか過ぎてしまったときの虚しさを、感覚で捉えるだけではなく、制約として排除していこうと思います。

わかったふりしてニュースを読むのもやめます。

新年になってから、保管しておいた過去の年賀状や手紙を思いっきり整理しました。中には40年も前に死んだお袋からの手紙や、親戚のおじさん、おばさんからの手紙などもあって、これは捨てる訳にはいきませんでしたが、殆どは整理してしまいました。

「無駄」といえば、今に至るまで無駄な時間を随分使ってきました。同様に、大した稼ぎもないくせに「無駄」なお金を使ってきました。

時間とお金を無駄に使ってきたのですから、自ずから帰結はしれたものとなっています。小学生時代から頭の良かった友人は大学の教授になっていますが、ちょっと前までは学部長でしたが、去年は研究専念期間をもらって大学院生に戻った気分で集中して研究していたのだそうです。

そんな彼には無駄な時間の使い方などさほどなさそうです。賢い人間は一貫して賢く人生を過ごしているようです。そんな彼を鑑みると、やはり愚かな人間は愚かなりの人生を過ごすものだと、この歳になってつくづく思います。

しかし、人生とはうまくしたもので、愚かな人間が愚かなりに生きることは、実はさほど愚かでもないように思うのです。というか、賢い人間が賢く生きることとさほどの差異は無いように思うのです。

賢い人間が愚かに過ごすことや、愚かな人間が賢いつもりで過ごすことが、愚かな生き方のように思います。

しかし、
では一体、無駄じゃないことってなんだろうか?
なにが有益なんだろうか?

愚かな人間には、そんなことにも簡単に答えを出すことが出来ません。

病気

そんなことを考えるよりも大病患ってもうろたえることのないようにお金を稼ぐことに専念する1年にしなければと思う、愚かな一年の始まりでした。

キーワード