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視点

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持続性と健全性

さぼ郎
いよいよ新年になってしまいました。

初日の出

6時51分に日の出になりました。ヘリがもう少し右へ行っていればダイヤモンド富士になったかもしれませんね。

賽銭

朝からご苦労様です。

賽銭

営業」という職種があります。一般にモノを売る仕事になります。景気が良ければ比較的不要なものでも売れた時代もあったようです。あるいは、需要が供給を上回ると、特に売り込まなくても買い手が探してきて「欲しい」と言ってくれます。

つまり、必要なものを必要なだけ生産し、販売してさえいれば、特に「営業」をしなくても売れるわけです。

ということは、営業の真の目的は、

売れないものを売る
競争に勝つために売るための努力をする

のどちらかということになります。売れないものなら作らなければよさそうなものですが、そうなると

作り手が失業する
競争が無くなればイノベーションへのインセンティブが無くなる

ということになるようです。しかし、人工頭脳やロボットが徐々に産業界に導入されて来れば、製造の現場は大きく変わってきます。

バブルのころ、あるミシン工場へ見学に行ったことがあります。1人の持ち場があって、仮に機械6台をカバーするとします。ところが、競争相手がもっと品質のいいミシンを安く市場に出してくると、1人のカバーする機械は6台から7台になるわけです。

それは、1人の人間の能力から算出するのではなく、市場原理から算出されるのだそうです。それが無理なら自動化するか、作ることをやめるかです。選択の余地はないのですが、グローバリズムな世界経済においては、人件費、土地、エネルギーの安いところへ製造の仕事は移らざるを得ません。

似たような話ですが精密バネを製造している工場に見学したときのことです。体育館のような広い工場に、ほとんど人はいません。人間は保守をするための待機をしています。例えば、故障とか材料の供給とか。幹部の人が言うには、機械に人が近付けば危険を察知して機械が止まるのだそうです。

つまり、ほとんど人はいらなくなっているわけです。どちらもいまから30年くらい前の話です。

自動化がコスト的に採算に合わない仕事か、ロボットや人工頭脳では絶対にできないような仕事のみが、人手で行うことになります。

東京大学の医学部ではワトソンを使って難病の診断をして成功しているとNHKでやっていましたが、一般的な開業医のレベルなら、なにも人工知能まで持ち出さなくてもビッグデータの解析でも十分に水準以上の診断ができると思います。

このことは弁護士や検事、あるいは裁判官も同様です。膨大な証拠や証言、そして判例から的確な判断は人間以上のことと思います。政治だって、あんなに無能な議員を抱えて茶番をやる必要もなさそうです。

さらにいうなら、国民投票など、単なる壮大な無駄でしかありません。一番信用出来ないのが「国民」という集合です。だから、代表民主主義にしているはずです。選良は、少なくとも烏合の衆である「国民」よりはまともな判断ができることが期待されているはずです。

会社の組織だって同様です。新入社員のころ有能だったとしても、幹部として有能である保証はありません。経営判断なども人工頭脳のほうが、主観に惑わされそうもありませんし、判断も早そうです。

そんな時代になると、労働の現場には無駄が排除されることは間違いのないところです。その無駄のほとんどが人件費です。排除された労働者は失業ということになります。

しかし、失業者が増えれば社会が悪くなる以前に、消費が滞り、教育に格差ができます。消費が滞れば物は売れず、税収も落ち込みますし、十分な教育ができなければ将来において競争力を失います。

つまり、日本という国家は、今のままの無能な政治においては、衰退を食い止めることは難しそうです。かといって、痛みの伴う制度改革は「国民」としては許容できないわけですから、現下の問題解決ができそうなスーパースターの登場を待つか、落ちるところまで落ちるかしかなさそうです。

安倍内閣は、またまた、5年連続で過去最高額の予算を組んでいるようです。社会保障費の増大を理由にしているようです。

で、フィンランドのオウルという町にはノキアがあったのだそうですが、それをマイクロソフトが買収して従業員を半減させたのだそうです。失業した技術者は4人家族なら失業前の73%の失業保険をもらえるとかで、なかなか再就職をしないのだそうです。そこでフィンランドは実験的にベーシックインカムを導入するようです。

どんな仕組みを作るにしても、その国家で生活する「国民」が、最低でも一般的な生活が出来なければ国家も社会も持続性、発展性の基盤を失うわけです。

ヒトは生まれたときに、すでに能力や容姿で差別化されています。すなわち平等ではないわけです。当然のことですが、資産も同様です。能力や容姿は分けるわけには行きませんが、資産は分配可能です。

つまり、どういうタイミングであれ、勝ち組から多くを取り、負け組に回せばいいだけのことで、勝ち組から批判されるかもしれないけれど、それ以外に持続可能な社会を考えることは難しいと思います。

ピケティは累進課税の改良を唱えていましたが、ワタシは単に相続税で循環させる社会制度を考えればいいと思っています。また、医療費が突出しているのであれば、抑制する方法と、勝ち組から応分の負担をお願いすればかなりカバーできるわけで、政治とは、やるかやらないかだけのことに過ぎません。

これからの格差社会も、このような考え方が制度化されていさえすれば、格差社会においては、還元する側にいるか、還元される側にいるかの違いでしかありません。

格差は是正できるわけもなく、また、ますます格差の幅が増大していくことは必至ですので、未来を見据えた制度改革ができる政治を、「国民」が望み、創出していかなければ、人口縮小化巨大借金国家である日本の未来は暗いですが、ここまで来てしまえば、嫌われようが恨まれようが、やるしかないわけで逆に簡単でも有るように思います。


ところで、年金機構ではファイルの整理に「アイウエオ順」を使っている事業所が114なのに対して「イロハ順」が198なのだそうです。

慣れればどうということでもないとのことですが、なにか違和感があります。

軍隊に撤収された地名で、いまでも「イロハ」が使われている町名があります。古式豊かな町名は、どんどん、丁目や番地に切り替えてしまったのに、不思議です。

江戸時代の町火消しは「いろは」で組を作ったそうですが、さすがに「へ」と「ら」と「ん」は無かったようです。ちなみに「ら」は「魔羅」を想起させるからなのだそうです。車のナンバープレートで「い-1」を探していますが、見たことがありません。

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