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視点

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煩悩とマッドメンと自己について

シリーズ7

さぼ郎
最近、やっと「マッドメン」のシーズン7を見終わりました。

もし、自分がテレビ業界で、ドラマを作るかかりなら、もっともっと普通の人々の人間模様を描きたいです。さしずめ宮本輝の「流転の海」あたりでしょうか。ただし、ちょっと熊吾がドラマチックすぎますけど。

興味のない人に話しの粗筋を伝えてもいかんともしようがありませんが、とはいえ、記事の体裁を保つためにも、雑駁なまとめを書いてみます。

主人公のドン・ドレーパーは、戦後のアメリカの広告業界で天才的な手腕を発揮してのし上がります。ちょうど、メディアが紙媒体からテレビに移行し、データ分析もIBM360と言うようなミニコンを使うというような時代背景です。

ドレーパーは、本当は彼の名前でなく朝鮮戦争で彼の不手際で死なせてしまった上官の名前です。つまり、入れ替わったわけです。

深掘りしてもしょうがありませんが、ドン・ドレーパーにはアナという妻がいて、いくつめのシーズンのいくつ目の話だったか忘れましたが、ドンがアナに事情を説明に行き、ドンにしては珍しく男女としてではなく、尊敬し尊重するというような人間関係になりますが、ガンで死にます。

アナ・ドレーパー
これがアナ・ドレーパー ↑

その姪のステファニーが最終話で絡んできますが、そこは置いといて、ドンは娼婦の産んだ父親が誰なのかもわからない出生というコンプレックスを持っています。

養ってくれた父親は雷に驚いた馬に蹴られて死にます。その家の実の子が弟なのですが、ドンが広告業界で成功したのを見て訪ねてきますが、自分が上官と入れ替わっていることを隠すために弟への対応を冷淡なものにしますが、弟はその仕打ちに悲しみ嘆き自殺してしまいます。

娼婦の子として生まれたこと。上官の死に関与してしまったこと。死なせてしまった上官に成り代わって自分の過去を消そうとしたこと。養父の実の子である弟に知られてそれを隠そうとしたことから結果として弟を死に追いやったこと。

これらのネガティブな思いとは別に広告業界では、類まれなる才能の持ち主として従前の能力を発揮して巨万の富を形成したけれど、最初の妻(ベティ)とは折り合いがつかずに離婚した。秘書であったメーガンと結婚したけれど、結局、離婚することになった。

たくさんの女性と関係を持ったけれど、ドンの心の平安を与えてくれたのはレイチェルであり、そのレイチェルが夢に出たので、調べてみたら白血病で死んでいることがわかる。そんなレイチェルによく似たダイアナと知り合うけれど、ダイアナには自分を許せない過去を背負っていた。

レイチェル
これがレイチェル ↑

ダイアナ
これがダイアナ ↑

そのダイアナと行き違いになり、ドンは吸収合併されたマッキャンのシステマティックな広告づくりに馬鹿らしさを感じて、会議の途中で会社を放棄して、まずダイアナの離婚前の家を訪ね、そのまま放浪して西海岸に出る。

その西海岸で、アナ・ドレーパーの姪が入っていた瞑想のグループに消極的に参加するが、ある男の慟哭を聞くに及んで、その慟哭が自分にもあるという深い共感を得、そして最後には、そのグループの瞑想の最中のドンの笑顔で終わるという流れです。

ある男の慟哭とは、「家族から愛されているはずだ。でも、それが何なのかがわからない」という告白でした。たくさんのガールフレンドはいた。尊敬してくれる部下もいた。信頼してくれる顧客もいた。娘のサリーとは、少しずつでは有るけれど分かり合えるようになっていた。

だけど、、、。

ドレーパー
動画にリンク ↑

そこにコカ・コーラーのテレビCMが重なるようにして流れます。これは時代背景の演出。マンソン・ファミリーの話が出るので1970(昭和45)年の前後の頃のことと思います。

事業に成功し、富も手に入れ、女性もドンがその気になれば、ほとんど手中に入れられる。しかし、心に平安を与えてくれると思ったレイチェルとは別離し、その後、彼女の死を知る。

そのレイチェルに瓜二つのダイアナを追うけれど、それはあくまでも代用でしか無い上に音信も途絶える。価値観の相違や過去を消した人間であることなどからギクシャクして別れた最初の妻であるベティは末期の肺がんで余命幾ばくもない。

そのベティは延命治療を拒否し、末期の肺がんなのに依然としてタバコも吸っているし、死ぬ覚悟ができている。

追う人間はことごとく去り、自分の存在の意味を失いかけていたドンに心の平和を与えてくれたのは、新興宗教でもなく、瞑想でもヨガでもなく、自分を取り戻すことは、自分の捨て去ることであることへの気づきであったように思えます。

とくに、シーズン7の最後の方は、話が散漫な感じがしますが、しかし、よくよく考えてみれば、人々の日常は、成功があり失敗がある。成就する恋もあれば失恋もある。出会いがあれば別れが有る というようなわけで、人々の日常をドラマチックに収れんさせることのほうが不自然でもあります。

ドンは、獲得することで心の安らぎを得ようとし続けてきたように思います。そして獲得したものを人に与えることで満たされようとしてきた。しかし、ようやく到達したのは、放棄であり解放であったというストーリーだったように感じました。

煩悩

自分を捨てることができるのは、達成した人間の特権でも有るのだろうと思うのです。いまだに自分を拾い続けているワタシは、煩悩すら持てずにいます。

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