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土人考

さぼ郎
今日は図書館の放出日なので、早速2冊もらってきました。

堂門冬ニ直江兼続と上杉家家訓16箇条」と瀬島龍三「日本の証言」です。

直江兼続の作った漢詩が、とても好きで、特に「天上人間一様秋」という句が心に染み入ります。

人間、晩節には天上と一様になる なんて、とても素敵です。中には欲に毒されて晩節を汚すヒトも、ママいるようですが、それはそれで他人がとやかくいうことでもなく、法に触れさえしなければ、いいのではないかと思います。

どう生きたところで、いずれは天上と一様になってしまうわけですから。

仏教では、「六道」といって天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の六種類の迷いが有るようですが、wikiによりますと、これは死後の世界ではなく、生きている人間の心の状態なのだそうです。

地獄
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鎌倉の覚園寺に行った時、お坊さんが言うには、ヒトが死ぬと7回裁判が行われるようで、それが1週間ずつなので、7✕7=49日は、残されたヒトが少しでもいい判決が出るように、善行に励むことが重要なのだとのことでした。

仏教で言う「天道」も享楽のうちに生涯を過ごせるようですが、煩悩から解き放たれておらず、解脱も出来ないようです。で、この天道で迎える死は、地獄の苦しみを遥かに超えるのだそうです。

地獄の苦しみは死後のことなので、せめて、生きているときは一瞬でもいいですから「天道」に到達してみたいです。

この世の春を迎え、人を人とも思わない権勢を手にしても、帳尻は合っているのかもしれません。

網野善彦さんの本によりますと、縄文時代には差別がなかったようです。古代の律令国家においても、差別を示す資料はないようです。他の本でも、弥生人のお墓に縄文体型の人が埋葬されていることがあって、どうも、弥生人が帰化する過程で、土着の縄文人を殺戮をしていないようなことが書かれている本もありました。

古代には、貴族や王族を除くと、平民と奴婢と神奴のような分け方ができるようですが、律令制が弱体化する過程で、主として神奴が差別の対象になっていくように書かれています。

畏怖」という観念が消失するのと、世俗権力、つまり「パワー」が台頭してくるのが、だいたい、南北朝の頃なのだそうです。つまりは14世紀頃。

ちょうど、その頃に平仮名を中心として文字が浸透してくるのと、金属による銭が商業や金融に使われるようになってきます。

そこの大きな力を発揮したのが鎌倉新仏教なのでしょう。

文字とお金が、民族を形成する画期になっていると言う指摘は、とても面白いと思いました。

いま、世間では天皇の「生前退位」とかで、偉い人が知恵を絞っているようですが、「天皇」という称号が使われだすのが「持統天皇」からのようです。もし、それが確定情報なら、天智も天武も「大皇(おおきみ)」であって、「天皇」ではないことになります。

ちなみに、「退位」すると、皇位継承の1番目の皇子が天皇になるようです。「譲位」となると、天皇が治天になり、その治天が次なる天皇を指名するようなことを意味するようですが、詳しいことは分かりません。

同様に「日本」という国号も689年の飛鳥浄御原令で決まったとする説もあるようですが、いずれにしても、その前後のことのようです。つまりは、それ以前には対外的に「」はあっても「日本」はなかったわけです。

この天皇が譲位して「治天」という院制によって実権を握るような仕組みを作ったのは白河天皇だそうで、1086年のことのようです。それ以降、院制によって実質的な権力は「治天」が握り、天皇は傀儡になってしまったようです。

とはいっても、院制は江戸時代まで続くようですが、単なる形式として存続しただけのようで、それも明治になると法律で禁止されました。

ちなみに、昭和天皇のときの葬儀は「大喪の礼」といって、明治天皇から神式になりましたが、それ以前は仏式で、持統天皇から火葬になり、聖武天皇から仏式になったようです。

明治になって平田篤胤の流れをくむ国学などの影響により、王政復古と同時に「神祇官」による政治を目指したようですが、現実には時計の針を戻すことは不可能なことで、主として天皇制に国家神道の色が濃く反映することとなったようです。

本当は、大阪府警の警察官が沖縄で「触るなクソ、触るなコラァ、どこつかんどんじゃコラ、ボケェ、土人が!」という発言から、「土人」という言葉について調べてみようと思いましたが、ちょっと逸脱してしまいました。

いずれまた。

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