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仙台と札幌の旅《その3》

さぼ郎
ということで、サッポロファクトリーをうろついていたわけですが、「そうだ、余市に行こう!」と思いつき、時刻を見たら12時ジャストに小樽へ行く列車が出るので、大慌てで札幌駅に行き、小樽へ向かう車中の人となりました。

小樽

小樽についたのが12時39分でした。余市へ行く列車は12時35分に出発していました。次は13時50分です。

小樽

1時間に1本しか出ないにもかかわらず、札幌から来る列車と僅か4分で、接続させようとしない、さすがのJR北海道です。

ということで、小樽に降りることにしました。といっても、時間は1時間しか無いのでタクシーに乗り込んで、1時間の市内観光をお願いしました。

日銀
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なんやかんやと最近ではすっかり有名な小樽です。小樽の駅から真正面に海が見えます。そのちょっと手前が例の倉庫街になっています。

タクシーはまっすぐには海へ向かわず、まず、小樽の日銀を案内してくれました。明治33年ころの小樽は、商業の中心でもあったようで、各銀行が集中し「北のウォール街」などと呼ばれていたようです。

倉庫街も同様ですが、要するに古い町並みが残り、そのレトロな感じがノスタルジーにつながっているというのが、売りになっている感じがします。

なぜ、このように古い町並みが残ったかというと、戦災に遭わなかったからのようです。

遊郭

小樽に1件だけ残っている遊郭だそうです。遊郭と言っても、遊郭として使った建物が残っているということで、遊郭が残っているわけではありません。

遊郭

大火にあったため、通りに面している方は耐火作りになっています。左にとても立派な「うだつ」が上がっています。

うだつ

「うだつ」は室町時代あたりからも有るようです。防火壁というよりは装飾的な意味合いが強くなり、商家には立派な「うだつ」を付けるようになったことから「うだつが上がる」というような事を言うようになったとのことです。

江戸時代は積丹半島から先に女が言ってはいけないという縛りがあったようです。ところが、明治2年には「北海道」という名称も決まり開拓使の判断で小樽には明治4年に遊郭を公認した。
青楼「南部屋」は、住ノ江町時代まで北海道随一のにぎわいをみせていた。抱えの女性約七十人、ニシンの盛漁中、一日の収入は約三千円(今の金額で約五千万円)。女性の収入は、筆頭者が月七百円(同約千百万円)であったといわれている。
次に行ったのが、日本郵船の小樽支店跡で、ここで樺太の国境策定の会議が開かれたとのことです。

建物

それから小樽祝津パノラマ展望台に連れて行ってもらいました。2時間もののテレビドラマなどでよく撮影に使う場所だそうです。

パノラマ

小樽の水族館の上の丘にある祝津パノラマ展望台から見ると西に見えるのが積丹半島です。

積丹半島
霞んで見えるのが積丹半島

留萌
よく見えないけれど正面のほうが留萌

札幌
札幌の港

ここから街に戻ります。このパノラマ展望台は、結構な高さに位置しています。ここを人力車で上がった旅人もいたようです。ちなみに曳き手2人で6万円だったそうです。

運河
海につながっている所。
ここから左側は実際に使っている運河。
右は半分埋めてしまったので観光用になってしまった運河。

運河
この右側の倉庫が観光用のショップになっている

かなりの中国からの観光客が来ていました。小樽に有る山下汽船に石原清がいたことがあります。

宇和島男子尋常高等小学校卒業。旧制宇和島中学(現在の宇和島東高校)中退。

これが石原清の学歴で、山下汽船で店童(丁稚のこと)。昭和14年に小樽出張所の所長になり、昭和18年には支店長にまでなっています。いかに戦前とは言え、旧制の中学を卒業もしていないのに、えらい出世です。

この石原清が慎太郎、裕次郎の父親です。

そんなことで、駅に戻り、13時50分発の倶知安行きのディーゼル列車で余市を目指しました。

余市

余市と言えば、宇宙飛行士の毛利さんの出身地ですが、とりあえずここはマッサンのニッカでいきます。

ニッカ

ニッカ

ニッカのウィスキー博物館の一番奥に有料のバーがあります。

博物館

お土産コーナーに行くと2階で無料のウィスキーを振る舞ってくれますが、ノーエージだそうで、それ飲むなら有料でもいいウィスキーを飲みたいと思って、博物館のバーに戻って竹鶴の21年を飲みました。

竹鶴
竹鶴21年

リタハウス
リタハウス

夫婦の家
竹鶴とリタの家

竹鶴
竹鶴の胸像

ニッカ

ニッカウィスキーについては、朝ドラにお任せします。何にしてもパイオニアは凄いものだと思います。江戸時代や明治早々に海外へ学びに行き、その知識を日本に持ってきて定着させる彼らの努力があって、今があるのだとつくづく思います。

と、同時に小樽から余市への車中で一緒になった人(若い女性)の話など聞くと、みんながみんな都会を目指すわけでもなく、地元から出る気もない若者も少なからずいるわけで、そうしたときに、若者をつなぎとめる生活の基盤が無い限り、地方は荒廃していくことは必至ですね。

抜本的な制度的の対応が不可欠のような気がします。例えば、ベーシックインカムとか。

ちなみに、余市は電化されていないのでsuicaは使えません。現金のみです。だから帰りに余市から小樽まで320円買って、千歳でsuicaで精算しようと思ったら、それもだめで、現金で徴収されました。約2千円です。

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