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仙台と札幌の旅《その1》

さぼ郎
ちょっと用事ができて、仙台と札幌に行ってきました。仙台は、その昔に住んでいたことがありまして、土地勘はありました。といっても、仙台に市電が走っていた頃のことで、随分前のことです。

1926(大正15)年から1976(昭和51)年まで運転していたようです。歴史は日露戦争を機にして電車の事業が計画されますが、財政難で実現できず、第一次世界大戦後の好景気に乗じて計画が実現しそうになりますが、直後に来た不況で頓挫しそうになりますが、どうにかこうにか実施されるのが大正15年ということです。

仙台市
仙台市終戦後の町並みと市電・wikiにリンク ↑

とはいえ、仙台は城下町だったので道幅が狭く、そこで大幅な都市計画を行い、既存の道路に並行させる形で軌道敷を作ったのですが、太平洋戦争で壊滅的な戦災に会い、その後の復興から今の中心部のような整然とした町並みが作られました。

ということで、昭和50年ころは、上野から仙台は特急で4時間のコースでした。いまは、1時間半ですから、凄いものです。

新幹線
定刻に発車して定刻に着きました。

定禅寺通り
杜の都を彷彿とする定禅寺通り

定禅寺は1601(慶長6)年、仙台城の鬼門封じのために「定禅寺」が開基され、その参道として整備されたのが現在の定禅寺通の始まりとされるのだそうです。

仙台に住んでいた頃も、他県から戻ってくると、わざわざこの定禅寺通を端から端まで車で往復しました。季節が夏だと木漏れ日と緑がとても気持ちが良かった記憶があります。

用事があったのは「せんだいメディアテーク」だったのですが、とっても綺麗な建物です。中に市立図書館もあって文化の香りがします。

メディアテーク
白いパイプのような束が構造体ということです。
メディアテーク
メディアテーク
せんだいメディアテーク

この「せんだいメディアテーク」は、国立競技場で隈研吾さんに惜しくも敗れた案を提出した「伊藤豊雄」さんの設計によります。

白いパイプが束になっていますが、どうもこれが柱のようです。
スパイラルを描くたくさんの細い鉄柱に分解することで「すけすけの柱の内部」(チューブ)を作り出し、それらをできるだけ不規則に配置することで不均質な場としての内部空間を計画した
とあり、3.11の巨大地震も、一部、天井が少し剥がれた程度で、従来の柱と梁の構造でもないのに、設計通り耐えられています。



国立競技場も伊藤さんだったら と思ってしまいますが、メディア的にも偉い人達的にも、ともかく「」なヒト、「有名」なヒトを使えば、いいものができるという期待と同時に、失敗したときに責任をかわせるという、いかにもの日本的な背景を感じてしまいます。

いつの頃からかは分かりませんが、偉い人たちが率先してリスクを負わなくなっているような気がします。逆を言えば、「保身」「保全」に長けていればいずれは権力者になれるということなのかもしれません。

青臭い正義論を居酒屋で吐いているような人たちに権力を与えることのほうがリスクと言えそうです。

仙台空港
夜の仙台空港

ということで、やっと仙台空港に着きました。ここから、ANAの最終便で札幌に向かいます。

仙台空港

ほとんど海 って位置です。3.11のときに水没しましたが、逆を言えば、あのような津波に耐えられる人工物を作ることのほうが、現実的ではないような気もします。

歴史」というと、摂理としての時間の経過が厳然としてあるのですが、その時間の中で、人々の英知の働きと積み重ねを感じざるを得ません。とはいえ、その「英知」の働きの底流にはさまざまな「欲望」あるいは「願望」があればこその成就であることは事実と思います。

その「欲望」あるいは「願望」と、いつの時代からなのか権力者(決定権者)が責任を取らないという体質が生まれたことが、昨今の豊洲や国立競技場とかに見事に体現されているような気がしますが、この話は本題からそれるので、札幌」は次回ということにします。

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