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科学

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梅毒感染者急増中

さぼ郎
フロイスの覚書にあった「ヨコネ」を調べてみました。

ヨコネ
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どうも、当時「横根」と言った病気は、中国では「黴毒」といい、いま、普通に「梅毒」として認識される、性病のことのようです。

なぜ、「」が「」になったかはわからないようですが「梅雨」が「黴雨」だった事もあったようなので、そんなあたりから「」になったのかも知れないと詳しいし説明の中で書かれています。

梅
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ウィリアム D.ジョンストンというヒトが、日本の疾病として歴史的に考察しています。その中にもフロイスの覚書に触れています。正式な文書の記録としては1512年に「唐瘡」や「琉球瘡」という病名が京都に住んでいた竹田秀慶の『月海録』にでているのだそうです。

18世紀に諸国を漫遊した医者の記録には「予諸国ヲ経歴セシ内、肥前長崎或ハ京大阪江戸ナドノ如キ都会繁華ノ地ハ十人ニ八、九人ハ此病ヲ病。」とあり、驚くべき数字ですが、
江戸の墓地に埋められていた頭蓋骨の調査に基づいて、ある人類学者が江戸の人口の55パーセントが黴毒にかかっていたという結論
を出しています。「武士階級と思われる人の約40パーセントが黴毒にかかっており、町人の下層階級では約70パーセント」だったそうです。江戸時代も当初の農村や漁村では、フロイスの指摘のように、性はかなり自由だったようですがあまり、この病が蔓延していなかったようですが、交易のエリアが広がるに連れて地方の津々浦々に蔓延しだしているようです。

松本良順も下賤の民の100人の内、95人がかかっているとしていますし、杉田玄白も様々な病気で診る患者のうち1000人の内700~800人が梅毒だとしています。

明治に入ると男が兵隊に入り性病にかかって故郷に帰るということで一気に全国的な広がりになったようです。フロイスは16世紀の終わり頃に「覚書」を書いていまうすが、江戸時代においても、「ヨコネ」を恥と思わず、むしろ男として一人前くらいに思っていたようです。

しかし18世紀の後半に小石元俊という医師は、「ヨコネ」は倫理観が欠如したことが原因で、大本となったのは娼婦の行為から自生したとしています。

番付
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江戸時代(どの頃かは不明)の病気の番付があって、一番が「疱瘡」で、「横根」は12番ですが、2編では、骨に転移した梅毒が「骨」として8位に入っています。

そんな梅毒が、いま(2016年)、急速に増えているようです。特に20~24歳の女性が突出していて、過去5年で5倍になっているそうです。

梅毒
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ちなみに、「HIV」も日本で激増しており、先進国で唯一増加しているらしく、梅毒と一緒に広がっていることが懸念されます。

フレミングによってペニシリンが発見されるのが1928(昭和3)年。実用化され売り出されるのが1942(昭和17)年だそうで、欧米では戦争で随分兵隊が助かったようです。日本でも試験的に生産はしていたようですが、量産でき、販売されだしたのは1947年になってからのことだそうです。

ペニシリン
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最後に病原菌の写真がwikiにありましたので、掲載しておきます。

梅毒
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コロンブスが西インド諸島から持ち帰ったという説が主流ですが、実際にはDNAでも調べなければ詳しいことはわからないようです。コロンブスが西インド諸島に上陸したのが1492年で1512年には京都の医者が記録しているのですから、伝播の速度がとても早いのには驚きます。

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