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あれこれ

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魔法の「お薬」

さぼ郎
今年の春に友人が亡くなりました。彼は、2014年の暮にステージIVの肝臓がんであることが発覚して、それから闘病生活に入りました。発覚から約1年半の戦いの中で、その間の手記を書いてもらっています。

肝臓
「がん告知」の記事にリンク ↑

たまたま、今朝、通勤中に読む本として「考える血管」という本を選びました。この本は、癌ができると、その癌が酸素や栄養を求めるために、血管を増殖させることについて著者は平易に書いたつもりかもしれませんが、結構、難しい本で、中途で読むのをやめてしまっていました。

考える血管

で、友人の治療に「ネクサバール」という薬を使っていたので、ネットでネクサバールを調べてみたら、血管新生を阻害するというような説明がありました。

ただし、副作用として発疹が出て、とても痒いのだそうです。良く、かさぶたになっている足などを見せてもらいました。

その「ネクサバール」を調べていた時、同じく、この薬を使用している患者さんとして山下弘子さんという人のブログを見つけました。

彼女も肝臓がんのステージIVだそうで、壮絶な闘病生活をしています。アフラックの宣伝に嵐の櫻井翔と一緒にCMに出ています。

たまたま、今日は、考える血管」を読み始めたこともあって、久々、山下弘子さんのブログを見てみたら、とてもいいことが書かれていました。

ステロイド
山下弘子さんのブログにリンク ↑

それが、「魔法のお薬」。それは、「医療関係者が患者にかける言葉」だそうです。
医師との「対話」や、親身になって「医療」してもらったことによる精神的に得られる安心感
これが、最も大事な「」だという話です。

いずれ、内科の診断にも、人口知能が登場してきます。現に東京大学ではワトソンが稼働しているようです。

人間は、なにかにつけ優劣を競います。それは体力や闘争心や、あるいは美醜であったり、学業(頭脳)や財力であったりするわけで、行くところまで行くと、イクサになったりするわけですが、頭脳の部分は、いずれコンピュータに置き換えられてしまうでしょう。

しかし、医療現場において、人工頭脳が正確な診断をしたとしても、患者の感情に届くメッセージは、やはり医療従事者が人間ゆえのことと思います。

励ます、思いやる、いたわる、ねぎらう

これ、人工頭脳から言われても、あまり「」にはなりそうもありません。

江戸の思想史」を読んでいて思ったのですが、幕末の文明開化は、本草学(つまりは科学的農業)や蘭学の人々が担った部分は無視し得ないほどに大きかった気がします。

幕府の本流の学問であった朱子学だけからでは、幕末の弾けそうな社会変革のエネルギーにはならなかったかもしれません。

たしかに薩長が主導した変革であったかもしれませんが、開国は幕府の判断でもあったわけです。

本草学を習得した人から四民平等のような、あるいは、もっと過激な無政府主義のような思想性まで起こってくる背景には、様々な視点もあって単純化して語ることは出来ませんが、とはいえ、やはりなんといっても我々が「日本人」であったということが大きかったように思うのです。

日本人

万葉集や古今和歌集など、高校で習った以上の知識はありませんが、漢字が入る前のマインドは、いかに希釈されていようとも「日本人」の中にはセットされていることは間違いがなく、それは曖昧性であるのかもしれませんが、違う視点からは情緒性であるとも言えるわけです。

これらは定量化には向かないことではありますが、こうしたことを「優位」に捉える時代がくればいいですね。

網野善彦さんの「日本の歴史をよみなおす」によりますと、彼の持論でも有るのですが、南北朝あたりで日本の歴史は、別の国のような変化が起こったとしています。

それは、歴史的な事件や出来事ではなく、文字が浸透したり、鎌倉新仏教などによる宗教観であったり、弱者に対する考え方などによって、日本の社会がそれなりの体制を整えだすことによる変革のようです。

網野さんの指摘によりますと、「一遍聖絵」を詳細に眺めてみると、時宗の弱者救済にかける情熱が、細かに描かれているようです。そうした、鎌倉新仏教が権力によって弾圧され、骨抜きになるのも13世紀後半から14世にかけてのことのようです。

一遍聖絵

社会が整備され、整うことによって享受することの多さに、失うものを見落としがちですが、極端な言い方をすれば、獲得するほどの価値の無いものを獲得し、喪失してはいけないものを喪失して行くのが社会の進展のような気もします。

一人の念仏が万人の念仏と融合する」という一遍上人の思いは、おそらく山下弘子さんのいう「魔法のお薬」にも繋がるような気がします。

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