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国歌考

さぼ郎
アメリカ国歌-The Star-Spangled Banner
1.
おお、見えるだろうか、
夜明けの薄明かりの中
我々は誇り高く声高に叫ぶ
危難の中、城壁の上に
雄々しく翻(ひるがえ)る
太き縞に輝く星々を我々は目にした

砲弾が赤く光を放ち宙で炸裂する中
我等の旗は夜通し翻っていた
ああ、星条旗はまだたなびいているか?
自由の地 勇者の故郷の上に!

2.
濃い霧の岸辺にかすかに見える
恐れおののき息をひそめる敵の軍勢が
切り立つ崖の向こうで
気まぐれに吹く微風に見え隠れする

朝日を受け栄光に満ちて輝きはためく
星条旗よ、長きに渡り翻らん
自由の地 勇者の故郷の上に!

3.
戦争による破壊と混乱を
自慢げに断言した奴等は何処へ
家も国もこれ以上我々を見捨てはしない
彼等の邪悪な足跡は
彼等自らの血で贖(あがな)われたのだ

敗走の恐怖と死の闇の前では
どんな慰めも傭兵や奴隷達の救いたりえず
勝利の歓喜の中、星条旗は翻る
自由の地 勇者の故郷の上に!

4.
愛する者を戦争の荒廃から
絶えず守り続ける国民であれ
天に救われた土地が
勝利と平和で祝福されんことを願わん
国家を創造し守り賜(たも)うた力を讃えよ

肝に銘せよ 我々の大義とモットーは
「我等の信頼は神の中に有る」ということを
勝利の歓喜の中、星条旗は翻る
自由の地 勇者の故郷の上に!

「49ers(フォーティーナイナーズ)」に所属するクォーターバックのコリン・キャパニック選手は先月26日(2016年8月26日)、試合前の国歌演奏で起立することを拒否 という記事がありました。

アメリカ国旗
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キャパニック選手は「黒人や有色人種を虐げる国の国旗に、私は敬意を表することはできない。私にとってはフットボール以上の問題だ」とコメントしたそうです。



オバマさんは「彼は憲法で認められた権利の元、自らの意見を表明したまでです。こうした行動に出るスポーツ選手は昔からいました。それによって物議をかもすこともあります。しかし、若者がどうしたら民主的に政治参加できるかを考え議論するということは、傍でただ見守っているだけより望ましいことです。民衆主義というのはそういうものです。」

ちなみに9月1日の試合ではチーム名と全員がベンチで座っていたそうです。チームの見解では、国歌斉唱は奨励であって強制ではないとコメントしています。

※ こういうアメリカは好きです。

そもそも、アメリカの国歌はアメリカとイギリスが戦っていた時にフランシス・スコット・キーという人が着想を得て作詞し、当時はやっていた「天国へのアナクレオンへ」という曲を少しいじって披露されたとか。



ハーバート・フーヴァー大統領時の1931年3月3日、キー作詞の「星条旗」がアメリカ合衆国の国歌として正式に採用されたのだそうです。

歌詞の3番に「奴隷」の文字が書かれているのは、アメリカに売られてきて奴隷として酷使されていた奴隷たちは、イギリスに味方した人たちもいたようで、その「奴隷」に浴びせる言葉となっています。

ちなみに、作詞したキーは熱烈な奴隷制度支持者だったそうです。

キャパニックの行動を支持すると答えた人は、黒人の間では72パーセントにまで達したが、白人の間では23パーセントという結果だったそうです。

根が深い問題です。

翻って日本国歌。

日の丸

君が代」は、日本国の国歌。「天皇の治世」を奉祝する歌であり「祝福を受ける人の寿命」を歌う和歌を元にしているのだそうです。

古今和歌集』の短歌の一つで、曲は1880年(明治13年)に付けられ、以後、国歌として歌われ、1999年(平成11年)に「国旗及び国歌に関する法律」で正式に国歌として法制化されたとか。

法制化で言うならアメリカ国家は1931年ですから、68年も遅れを取っていますが、歌詞で言うなら、こちらは千年以上の重みがあります。

そもそも「国歌」というと、幕末において外交儀礼として国歌を演奏する必要に迫られ、ともかく作ったものの、あれやこれやの遷移があって、1893年(明治26年)8月12日には文部省が「君が代」等を収めた「祝日大祭日歌詞竝樂譜」を官報に告示し、林廣守の名が作曲者として掲載され、詞については「古歌」と記されているのが、どうもスタートのようです。

冒頭の「君が代」は、当初、「我が君」だったという話もあり、そもそも「」とは誰のことかが、今でもくすぶっています。

正式な見解としては「日本国民の総意に基づき天皇を日本国及び日本国民統合の象徴する我が国のこと」だそうです。

昭和49年の世論調査では、76.6%が「君が代」が国歌としてふさわしとしていますが、一部、特に教育の現場では揉め事になっています。

現在は入学式・卒業式での掲揚・斉唱を義務付けていて、この件で自殺した校長先生もいるようです。

国歌斉唱時に起立するよう指導するかしばしば問題になっているようですが、最高裁の判断では「思想・良心の自由の間接的な制約となる面がある」と認定する一方、「校長の職務命令は思想及び良心の自由を保障した憲法19条に違反しない」という判断が出され、法的には決着しています。

大阪市役所では、「国旗国歌条例」が出されていて、公立学校等の地方自治体の施設における国旗の掲揚と、行事における自治体教職員の国歌の斉唱について「国旗国歌法や学習指導要領や教育基本法の趣旨を踏まえ、自治体教職員は学校行事で行う国歌斉唱は起立により斉唱する」と規定しているそうです。

これ自体は条例ですが、この条例に対する命令は地方公務員法による規定があるので服務忠実義務が課されます。

強制性に関しては、どちらにも言い分があるので、なんとも言いがたいところではありますが、伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛する意識の高揚に資すること」「他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」を目的とするというあたりに関しては、それを強制(強要)することが、目的を果たすのかは疑問があります。

自発性がない故に強制によって賄おうということ自体、形式(起立斉唱)はまかなえるかもしれませんが、むしろ意識の低下に繋がるようにも思えますが、泣く子と(思い上がった)権力者には逆らえません。

国歌なんて、スポーツの祭典で日の丸が上がるときに自発的に歌うものでいいように思うのですが、自発的自堕落を愛好するワタシは、戦前の日本とか、大阪市役所の役人にならなくてよかったとしみじみ思うところであります。

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