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二世、あるいは世襲

さぼ郎
親の産んだ子供を普通は「二世」とは言いいません。歌舞伎のような、一族で「相伝」していくような技芸なども、「二世」とは言わないですよね。「世襲」するのが前提ですから。

歌舞伎

初代から始まって二代目、三代目と続きます。ちなみに今の海老蔵は十一代目です。

天皇は「世襲」とは言わない。「皇位継承」といい、ともかく男系で守ってきました。これは男尊女卑とかではなく、そうしたシキタリで今に至っているわけなので、いま、変えるということは過去に対する責任をどのよう取るかという、皇室独自の問題と、皇室の意義に関する問題であって、理屈で考える問題を超越しています。

過去に女性天皇は何人かいましたが、女系天皇はひとりとしていませんので、そこまで踏み込むかを考えずには、手を付けるべき問題ではなく、異なる次元の問題であると認識するほうがすっきりします。

ちなみに「天皇」という名前をつけたのは40代の天武天皇からとのことです。しかも、「諡号」だそうで、死後、「天皇」になるようで、生前に天皇になった人は、明治天皇からのようです。

wikiで「二世」を検索すると、
北アメリカや南アメリカ、オーストラリアなどで使われた、最初に各々の国に移住した所謂「一世」を親とする世代の日本人(日系人)を表す日本語である。
と出てきて、1897年に35人がメキシコへ渡った「榎本移民」が最初の組織的移民だそうです。「榎本移民」とは時の外務大臣であった榎本武揚が考えた、植民政策。

ブラジルにもたくさんの移民が組織的に渡っています。石川達三が第一回の芥川賞を受賞したのが「蒼氓」で、小説では「移民」と言うよりは「棄民」政策だったような内容で、結構悲惨なお話だった記憶があります。

アメリカ、ハワイにもたくさんの移民が渡っていますが、アメリカは、後に日本と戦うこととなり、東条英機や松岡洋右は、日系二世はアメリカ人として戦うべきであるとしていますが、胸中は複雑だったと思います。

主としてヨーロッパ戦線でアメリカに忠誠を尽くしたとのことです。
日系人コミュニティでは、それぞれの世代を示し、区別するために、日本の数字と世代を表す「世」を組み合わせて、「一世」「二世」「三世」「四世」「五世」といった用語が使われている。
さて、そのようなあたりから生まれた「二世」が、最近では「二世タレント」とか「政治家二世」などという場面で使われるようになりました。政治家においては「世襲」という言葉を使うことも少なくありません。

親が芸能人ということは、役者にしろ歌手にしろ、時代を背景に才能を持って世に出て、名声と財産を築いたわけですが、どういうわけか、その家で生まれた男の子や女の子の多くが、タレントになります。

本来であれば、才能や容姿だけが命のはずの芸能の世界で、親が芸能人なら子供も芸能人というのはどういうわけなのでしょうか。幾つかのことが考えられます。

歌舞伎が「世襲」するのと同じで、芸の世界は血筋が重要であるということと、子供のうちから仕込んでいるからコツを飲み込んでいて、これは大きくなってからの訓練ではイカンともしようがないとする考え方。

歌手

政治家なども、利権まみれ、金まみれの親の姿を子供の頃から見て馴染んでいることが、一般社会の常識とは異なる世界の常識への飲み込みが早いからといえるかもしれません。

思えば、全ては小学校の時に縮図としてあったような気がします。例えば学芸会で芝居をやらされた記憶がありますし、合唱なんてのもやりました。学級委員の選挙もあって、1学期の学級委員は先生が選びましたが、2、3学期の学級委員は選挙でした。

小学校

政治の世界は知りませんが、学級委員の世界では、先生が指定する学級委員は立派な人がなりましたが、選挙で選ぶ学級委員にはろくなのがいませんでした。なぜなら、立派な人はなりたがらないからです。

政治の世界も似たようなものだのかは知りませんが、「」で「儲かる」から世襲するのであって、「」なだけでも、「儲かる」だけでも世襲はしないと思います。「」に「儲かり」、「権力」を手にすることができるからなのでしょうか。どれだけ年寄りになっても「議員」のポストにすがりついています。

芸能人の二世も、その構図は同じなのでしょう。本来は政治も芸能も才能と(容姿<ー芸能では)と適正だけで勝負するべきなのに、そうならないのは、表に出ない人々にとって、そのほうが都合がいいからなのでしょうね。

スポーツ選手

学者やスポーツで世襲するのは、才能の遺伝である可能性は高そうです。最近は、混血のスポーツ選手が増えていますが、世界の平和という観点からも民族が融和していく観点からも、とても好ましいことだと思います。

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