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視点

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経済を見る視点《01》

さぼ郎
何を学ぶにしても基本があるのだと思います。ここのところ、幾つかのセミナー等に参加して、それがどれだけ役に立っているか(つまり、お金が稼げたか)を顧みても、ほとんど実感がありません。

お金

絶対儲かります」式の表紙のタイトルには、すぐにでも儲かるような文字が踊っていますが、それらを何冊読んでも、役に立っている実感がありません。

考えるまでもなく、「何かをしてお金を稼ぐ」という方向と「お金を稼ぐために何かをする」という方向があります。

結果としての対価
目標としての対価

前者は、江戸時代で云うなら「農業」であり「工業」であるわけで、後者が「商業」ということになりそうです。

そろばん

何かをするとしても、野球選手がサッカーでお金を稼ぐことはかなり難しいわけで、通常は大工は家を建ててお金を稼ぐし、落語家は落語でお金を稼ぐのが当たり前だと思って、自分の道を進み、少しでもうまくなろうとして精進するから、巧みになるわけです。

ところが、お金を稼ぐために何かをするとなると、ある時は物を売り、ある時はサービスを売るということになり、それはそれで「商社」とか「小売業」として成り立っていきますし、そうこうするうちに、宣伝だけとか、集客だけのように、実業に即して「虚業」とか「金融業」が成り立ってきます。

クラウド
雲散霧消」などという「」が
今主流の「クラウド」として
もてはやされています。

とくに、インターネットに於いては、インターネット自体が「虚ろ」であるためか、「虚業」と馴染みが良くて、「マーケティング」とか「PPC広告」とか「セールスライティング」などのような言葉(日本語になりにくい語)が横行しだし、そうしたことを駆使することで先駆者的な人々、あるいは、そうした虚業に特に馴染んだ人々がお金を稼ぎだすと、彼らが稼ぎの安定を図るためもあって、彼らの手法を、さも誰でもが儲かるかのごとく切り売りしだすようになりました。

先生

しかし、結論から言って、努力することや学ぶことには間違いがありませんし、成功した人のエッセンスを頂戴することはいいこととしても、彼らの云うように「楽して儲かる」こともなく「苦労しても儲かる」こともないわけで、儲かるのは先駆者である彼らに集中するので、さらなる「成功者≒有名」になり、「有名」という信頼を獲得してカモが面白いようにかかります。

罠

なぜなら、トレンドは常に動いていることと、かつては不用心にメールアドレス(かれらのいう「リスト)を登録したかもしれませんが、いまは安々と個人情報に連なる情報を提供しなくなっているので、いかなる手法を伝授されたとしても、「集客」が出来なければ「虚業でお金を稼ぐ」ことは大変難しいといえます。

ちなみに彼らは、霞網で雀を取るようにして獲得した膨大なリストがありますし、そのリストのほとんどが一攫千金を夢見ているカモカモ予備軍です。

商売で成功するということは、一種の宝探しのようなものです。もし、本当に宝を見つけたとして、その宝のありかを本気で教えてくれると思うほうが、異様な発想だといえます。

宝

江戸時代に「商業」を蔑んできた背景には「拝金主義」があり、その拝金主義で痛い目にあった人々、特に「」と言われる人々の思惑が大きかったのだと思うのですが、確か海保青陵によれば、
経済的競争によって一方が得をし、他方が損をするという図式が、大枠においては全体的な福祉を増進するという考え方
を持ったようで、殿様と家来の関係(忠義や忠誠や忠実)だって、結局は「お金」でつながっていると喝破しています。

経済

そんな観点から、時々、「経済」の仕組みについて調べて見ようと思っています。

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