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社会人の教養って?

さぼ郎
たまたまネットのニュースを見ていたら、

東京大学
生徒募集のサイトにリンク ↑

という宣伝を見つけました。確か以前にも、似たようなのがあったと思います。

「教養」というのは、何なのでしょうか?
「学ぶ」目的は、何なのでしょうか?

今ひとつ、ピンときません。

社会人にとって必要な知識は、一般教養よりも、効率的に仕事をすすめるための知識や、もっと直截な言い方をするなら、「お金を稼ぐ」ことに直結している学習のほうがウェートが高いように思います。

次の視点として、ビデオを見るだけで「教養」というものは身につくものなのでしょうか。逆を言うなら、「教養」というのは「知識の量」のことなのでしょうか?

この辺りも今ひとつピンときません。

学習するなら、その学習効果をどのように判定する事ができるのでしょうか? 単なる自己満足なら、むしろ、好きなジャンルの本を読むほうがいいように思います。

戦前ならばスパルタ教育。ワタシにおいては、テストがあったればこそ、眠い目をこすりこすりテストのためだけに勉強した成果で、なんとか社会人をしているわけですが、10分ビデオを見るだけで教養人になれるとはとても思えません。

さらにいうなら、「東京大学の教授」であることの優位性、あるいは有用性はどこにあるのでしょうか? 箸にも棒にもかからない一般社会人を相手にセミナーをしている暇があるなら、東京大学という難関に入学したエリートたちに、東京大学を卒業したというプライドを与えるために時間を使うほうが本筋のような気がします。

それでも持て余す暇があるなら、ノーベル賞は無理としても世の中が変わるような論文でも書いているほうが、ずっと世のためになるような気がします。

gacco
gaccoにリンク ↑

思えば、「gacco」という無料の動画セミナーが出来たというので、結構速い時点で登録して、中世の歴史を少し勉強しましたが、途中でやめました。

方向が違うというかベクトルがあっていないというか、なにか差し迫る必要を感じませんでした。

何かを学ぶとして、まず必要なことは「適正」と「努力」。これがあって初めて教材とか指導者の有効性が価値を発揮するのではないでしょうか。「社会人が教養を高める」ということはけっして悪い話ではありませんが、「なんのために」という観点が、全く見えません。

空襲
東京大空襲の記事にリンク ↑

この時代にだって東京大学はあったわけで、教授もたくさんいたはずです。だから彼らが教育者としてちゃんと機能していれば、教養の有る社会人を多く排出したはずです。

にも関わらず、あのような戦争を始め、三原じゅん子さんお好きな言葉である「八紘一宇」のもとにアジア近隣諸国に多大な迷惑をかけ、国土を焦土とし、
亀戸まで来ると、高架の亀戸駅のホーム上は焼け死んだ人たちが重なって山となるような状態。錦糸町、両国あたりでは焼け焦げた遺体が道路にいっぱいで、自転車は走れませんでした。
このような状態にし、しかも逃げ惑う国民におにぎり1個、パンの1個も上げることさえ出来なかった。自分には実経験がありませんが、本などを読む限りでは南方の島々や満州ではもっと悲惨だったようです。

江戸時代には伊藤仁斎、荻生徂徠、新井白石、本居宣長などなど、世界に比べても他にないほどに日本社会の教養は高かったはずです。明治になって薩長が天下を取ってから7、80年で、江戸の教養は雲散霧消してしまいました。

平賀源内

戦後、70年を過ぎて東京大学の教養は、何の役に立つのでしょうか?

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