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手書きとパソコンによるノートの違い

さぼ郎
学生諸君、講義中はノートPCの使用を禁ずる」という記事がありました。

ウォール・ストリート・ジャーナル
ウォール・ストリート・ジャーナルの記事にリンク ↑
ノートパソコンでノートをとっている学生たちは手書きでノートをとっている学生より成績が悪い傾向にあることが、2014年の研究で分かっている。
とあります。

で、先生は新学期からパソコンの持ち込みを禁止するのだそうです。

ラッダイト」という運動が産業革命の時に起こり、機械化によって失業の恐れを感じた労働者が機械の打ち壊しをしたのだそうです。

ちなみに、「ラッダイト」というのは、ニット製造機を作った人がネッド・ラッドというヒトで、そこから名前が使われているというらしいです。

人工知能やロボットが人々の仕事を奪い、巷に失業者があふれてくれば、新たなラッダイト運動が起きてくる懸念はあるのかもしれませんが、教室からパワコンを排除する目的は、学生に学びを取り戻すことになるのだからラッダイト運動とは真逆です。

この法学部の先生は、いろいろな意味でパソコンを禁止したいのですが、その中核にあるのは、授業への参加、理解、会話、討論など、パソコンでは置き換えることが出来ない内容へ重点をシフトしようとしています。

記事中に「ノートパソコンでノートをとっている学生たちは手書きでノートをとっている学生より成績が悪い傾向にあることが、2014年の研究で分かっている」とあり、リンクをたどると、

手書き
記事にリンク ↑

あなどれない「手書き」の学習効果 という記事になります。

ようするにパソコンでノートをつける学生は、聞いた言葉を文字打ちすることに集中するため、講義内容の記憶が手書きノートのグループに比べて劣るのではないかということらしいです。

そういえば、マインドマップという整理法があります。

マインドマップ
マインドマップの記事にリンク ↑

マインドマップのソフトはたくさんあるようですが、マインドマップの熟達の師が言うには、手書きだからいいのだそうです。

しかし、単に放射状に書くことと、リニアに書くことのは根本的な違いがないように思います。が、やはり紙面というスペースの制約の中に物事をまとめてみようとする意思のもとに、手書き(つまり、フリーフォマット)で書きながら思考する(頭を使う)ことにマインドマップの有効性が有るような気がします。

また、枝は、どういう意味を持つのかといえば、分類上のカテゴリであって、事象をカテゴライズすることにおいて整理が進んでいくわけです。枝が分かれるということはサブカテゴリに分類するということなのだと思います。

更に、昨日の「1万倍仕事術」の大坪さんは、第一象限だけに限定して「右肩上がりマップ」として使用しています。

右肩上がり
大坪さんの「右肩上がりマップ」

とても面白い発想だと思いますが、通常のマインドマップにしても、単に円形に放射させるのではなく、象限を大まかに4方向にして物事を考えるということにも効用はあると感じています。

第一象限は「意識」も「行動」もできている事柄に分類し、それをさらに先に伸ばせるために必要なことを記載します。

第二象限は「意識」はしているのだけれど「行動」が伴っていない事柄を書き出して、どうすれば「行動」に繋げられるかを検討していきます。

4象限

このように象限訳をして、マインドマップを手書きすることにはきっと大きな成果に繋がる意味を持つ気がします。

電子図書と紙の普通の本とでは、同じ文章を読んでいても、使っている脳の場所が違ういというような記事を読んだ記憶があります。これはパソコンのキーボードに打ち込む文字と、手描きのノートとでは、やはり使っている脳の領域は違うはずで、当然、認知や理解にも違いが出るはずと思います。

子供たちの学習にタブレットを使うことが流行っているようですが、それとて同じことで、短期的にテストの成績を上げることはできても、思考力を高めたり深い洞察力を身に着けることができるように思われません。

習字

視点が異なりますが、テレビで各界のスペシャリストであるコメンテーターが書く手書きの文字で綺麗な文字を書く人がとても少なくなっているような気がしませんか。縦書きにするヒトもめったに見ません。

そもそも、平仮名は縦につなげて書くように開発されているようです。草書などは、その典型です。カタカナは仏典を読むための補足として開発されていてつなげて書くことは想定されていません。

海外で開発された概念の多くは、幕末から明治期においては漢文の素養のある知識人が和語に引き当ててくれたため、日本の開化がアジアでは一番の速度を持つことができました。

が、現下においては、ひどいもので、「知識人」は多くいるのでしょうけれど「教養人」が壊滅してしまっているようで、海外発の概念の多くはカタカナに置き換えるだけになっています。

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