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あれこれ

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トンボと秋津洲と菊花紋

さぼ郎
トンボ

トンボ

2か所でトンボを観ました。かなりカメラを近くまでもっていっても逃げません。彼らの複眼にワタシはどのように映っていたのでしょうか。見えていないということは絶対ないと思います。

トンボは「蜻蛉」と書き、「カゲロウ」とも読みます。トンボがSEXするときはハートの形を作ります。

蜻蛉
蜻蛉の記事にリンク ↑
『日本書紀』によれば、山頂から国見をした神武天皇が感嘆をもって「あきつの臀呫(となめ)の如し」と述べたといい、そこから「秋津洲」の名を得たとしている
となめ」とは「交尾したトンボの雌雄が,互いに尾をくわえあって輪の形になって飛ぶこと」とあり、神武天皇はトンボのことに結構詳しく、日本の形がトンボの交尾する形に似ているということから「秋津洲(あきつしま」と呼ぶようになったのだそうです。

臀呫:「」は「しり」のことですよね。「」は、どうも「なめる」だと思います。つまりは「交尾」というよりは、おケツをすり合わせる(舐め合う?)ということじゃないのでしょうか。

神武天皇はトンボの交尾を解明していなかったかも知れません。

つまり、トンボは「蜻蛉」と書きますが「秋津」とも書くわけです。秋津洲よりも先に「アキツ」の名前があったということです。

新井白石先生によると「昔はアキツとよんだけれど、後にカゲロウと呼ぶようになり、俗にはトンボウというなどと解説しています。パッと言ってパッと返ってくることを「とんぼ返り」と言いますが、日本ではトンボは好まれている昆虫ではあります。

が、西洋では、このようにはトンボを好んでいないようです。まず、名前が「dragonfly」です。「竜の蠅」。あまり縁起の良い昆虫としては捉えられていないようです。

夏が来る前に秋の予感がしてしまいました。秋ついでに「」の写真が気になりました。

この写真は戦艦大和の舳先についている「菊花紋章」だそうです。動画もあります。

ヤマト



」は奈良時代に中国から入ったとのことで万葉集には登場しないそうです。平安時代になって「新古今和歌集」や「源氏物語」になると、文学の世界にも取り上げられるようになったようです。
鎌倉時代には、後鳥羽上皇がことのほか菊を好み、自らの印として愛用した。その後、後深草天皇・亀山天皇・後宇多天皇が自らの印として継承し、慣例のうちに菊花紋、ことに十六八重表菊が皇室の紋として定着した
江戸時代は「葵紋」を庶民が使うことはご法度でしたが、菊紋の使用は自由だったそうです。

1869年(明治2年)8月25日の太政官布告で、「十六八重表菊」が公式に皇室の紋として制定され、明治4年には、皇室以外の菊花紋の使用が禁止となります。

写真の艦首に菊花紋を付けるのは狭義の「軍艦」に限られたそうです。狭義の軍艦というのは「1944年(昭和19年)10月1日改正の艦船令の別表で戦艦、巡洋艦、練習戦艦、練習巡洋艦、航空母艦、水上機母艦、潜水母艦、敷設艦のみを指す」となっていて、駆逐艦や潜水艦などは軍艦とは言わないようです。

当然のことですが、海上自衛隊が保有する艦船は、「軍艦」ではなく「自衛艦」で、軍艦との大きな違いは我が国の領海内の自衛を脅かされるとき以外の交戦権を保有しないことにあります。が、集団的自衛権を保有するに至って、その定義はあいまいなものとなっています。

戦後、菊花紋は自由に使えるようになったのかというと、そうは行きません。商標法第4条で国旗、菊花紋章などと「同一」または「類似」は使用禁止です。

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