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あれこれ

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デザインとアートの違い

今朝の音楽から見えてきたもの

さぼ郎
今朝、たまたまニュースを見ていたら「コールドプレイ」と「ブルーノ・マーズ」という名前が出ていた記事があったので、気になって読んでみました。

コールドプレイ」は前から結構好きで聞いていましたし、最近、ブルーノ・マーズ」も、気になっています。



なんにしても、日本のポップスが、こういう映像とか音楽の域に達する日 って来るのかな と思うのです。

ちょっと前にSMAPが事務所から独立するとかしないとかで騒いでいましたが、日本の興行のやりようを続けている以上は、なかなか、正常な競争が確立できず、どんなに才能があってもメジャーにはなれず、逆に大した才能がなくても事務所とメディアが結託して虚像を作り上げれば、あれだけのビッグビジネスになるのですから、ビジネスという観点からすれば大したものですが、大衆文化という観点からすれば如何なものかは悩ましいところです。

というのも、過日、親父らが集まった時、ある人が「アートは問題提起で、デザインは問題解決」という発言をしたのですが、「デザインが問題解決」であることは間違いのないところと思うのですが、「アートが問題提起」なのかは、いまだに釈然としていません。

そもそも「アート(藝術)」とは、いかなるものなのかを調べてみると、もともとは概念として「人工のもの」「技術」のような語源から派生しているようですが、派生したのも近代だそうです。wikiによると、
日本語における「藝術」という言葉は、『後漢書』5巻孝安帝紀の永初4年(110年)2月の五経博士の劉珍及による「校定東觀 五經 諸子 傳記 百家藝術 整齊誤 是正文字」の「藝術」から来ており、明治時代に西周によってリベラル・アーツの訳語としての意味を付加された。いまではアートの同義として使用されている。
リベラル・アーツが「藝術」だったようですが、いつのまにかリベラル・アーツの本義から離れて「アーツ」が「藝術」になったような感じですね。
佐久間象山は「東洋道徳西洋芸術」という言葉を遺しているが、ここでいう芸術は技術のことである(和魂洋才と同様の意味)。
佐久間象山
wiki「佐久間象山」にリンク ↑

要は近代になるまで、技術、なかでも工芸的技術は「クラフト」という括りであったわけですが、そこから「アート」が抜けだしたような感じです。「クラフト」からは完全に単離できていないのが「デザイン」であるような気がします。

遊び」は「飲む」「打つ」「買う」で三拍子ですが、「芸術」は「文学」「音楽」「絵画」が三拍子です。

芸術

「文学」「音楽」「絵画」が「問題提起」であるのかというと、よくよく考えてみると「啓蒙」という形での問題提起」なのでしょう。ちょっと得心がいきました。

似た概念に、「芸能」と「芸術」というのがあります。これなどは「迎合」と「啓蒙」で考えると分かる気がします。では、デザインが「問題解決」とするならどちらなのでしょうか。時には「迎合」であり、時には「啓蒙」であるようです。

日本の文学で見てみると、「直木賞」と「芥川賞」の違いのような気もしますね。どちらが崇高とか高尚かということではなく、どちらも大衆にとって、「気づき」や「歓び」を与えてくれます。

西周
wiki「西周」にリンク ↑

故に「リベラル・アーツ」を担っているわけでもあり西周の先見性に脱帽する次第です。



今朝、たまたま聞いていたiTunesからの音楽です。よく耳にする音楽ですが、意味がわからずに聞いていました。


She got Greta Garbo Stand off sighs,
She's got Bette Davis eyes

ジーン・ハーロの金髪、、、。
ベティ・デイヴィスの瞳、、、。
グレタ・ガルボの孤独、、、。

bette davis
「Bette Davis」のギャラリーにリンク ↑
ベティ・デイビスの瞳

なんにしても、日本のポップスが、こういう映像とか音楽の域に達する日 って来るのかな と思うのです。

自虐史観とか、そんな難しいことではなく、いわば「都会の大人」と「田舎の子供」くらいの差があるのだと思うのです。技術や科学では、そこそこ肩を並べるところまで来ているのに、ドラマやポップス、お笑い芸人の悪騒ぎだけが、これだけのギャップがあることが不思議です。



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