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申年を想う

さぼ郎
2016年は申年だそうです。「」は十二支のうちの9番目に数えられます。この十二支を調べてみると、なんと「戦国時代」に生まれた陰陽五行思想よりも古いのだそうです。

戦国時代」と言っても日本のではありません。中国の「戦国時代」は、紀元前403年に晋が韓・魏・趙の3つの国に分かれてから、紀元前221年に秦による中国統一がなされるまでをいうのだそうです。

十二支はそれよりもさらに、かなり古く殷の時代にはすでにあったようです。十干も、殷の時代までさかのぼるようです。

十二支

殷は紀元前17世紀頃 - 紀元前1046年。太陽が10個あるとされており、10日で1巡することを「」というのは今でも同じです。

十二支に十干(じっかん)を組み合わせると2✕6✕5=60の組み合わせができます。これを「干支かんし)」としたものを日本では「えと」と呼び、いまでは「十二支」を指すようになりました。

十干

甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸

十二支

子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥

これによって干支は60の組み合わせがあります。

干支

有名なのが「丙午ひのえうま)」ですね。なぜ、丙午の女が嫁に行きにくいかというと「気性が激しく夫の命を縮める」とのことですが、丙午には火事が多いという話と八百屋お七が丙午の生まれであるということから、迷信に変化したと書かれています。

1906(明治39)年も、1966(昭和41)年も出生率が下がっています、次の丙午は2026年ですが、その頃には迷信も希薄になることでしょう。

672年には「壬申じんしん)の乱」が起きています。詳しい話は分かりませんが、のちに天武天皇になる皇子が天智天皇の跡継ぎの皇子を倒した戦いで、干支で言う「壬申」に起きたことで「壬申の乱」として歴史に刻まれています。

なぜこのような大乱が起きたかの理由については色々説が有るようですが、額田王を巡る三角関係が原因であったとする説もあるようです。

額田王

ちなみに、来年の干支である「」は、西暦ゼロ年から12の倍数になります。2016年は12で割り切れて西暦0年から数えて168巡目です。

干支かんし」として考えてみると来年は「丙申ひのえさる)」になります。

ちなみに十干で1番、十二支で1番の「甲子」は、1924年にできた野球場の名前につけられました(甲子園球場)。また、甲子には改元がされることになって、平安時代以降明治まで甲子改元が無かったのは1564年のみだそうです。

なぜ「」が「」なのかは分かりませんが、「十二生肖」として動物を割り当てています。一節にはお釈迦様が動物たちを招集して来た順に割り当てたらしいのですが、ネズミが猫を騙したので選に漏れ、猫は今でもそのことを恨んでいてネズミを追いかけるらしいです。

猫

猿を「エテ公」とも呼びますが、これにも語源が有りました。「さる」が「去る」に通じる忌み語なので「得る」にし、手にするという「得手」という真逆の言葉で呼ぶようになったということです。

浅草寺には、時々猿回しの芸人が来ています。ふと思い出したのが杉田玄白のお墓が有る愛宕の栄閑院というお寺です。ここは別名「猿寺」ともいわれるそうで、猿に縁が有るようです。

猿

猿は昔から馬の守護神と考えられてきて、猿を使った芸は、武家での厩舎の悪魔払いや厄病除けの祈祷の際に重宝され、初春の祝福芸を司るものとして、御所や高家への出入りも許されていたそうです。
1970年に小沢昭一が消えゆく日本の放浪芸の調査中に光市の猿まわしと出合ったことをきっかけに、1978年(昭和53年)に周防猿まわしの会が猿まわしを復活させ、現在は再び人気芸能となっている。---《wiki

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