あれこれ
熊谷での養蚕【熊谷通信No.1】
昭和58年ころの記憶
最初にお断りさせていただきますが、これはイチ農家の記憶をたどったものです。ですので、研究者が発表されるような、正しいものから外れている可能性もあります。
その点はご承知おきください。
埼玉の北部では養蚕がさかんに行われておりました・・・そうです。
熊谷の我が家でも昭和58年程度まで(はっきりとした記憶がないのでおおよそ)養蚕を行っておりました。
カイコは、1年に5回育てることができたようです。
春蚕・・・4月夏蚕・・・7月秋蚕・・・8月晩秋蚕・・・9月晩々秋蚕・・・10月
我が家にカイコが来るときはある程度の大きさに育った状態となっておりました。
その前に育てる段階があり、地区で当番制をとり、各農家に配れるまで育てていたそうです。
我が家にカイコが到着するときには、おおよそ2cm程度まで育っていたと思います。
それが茶紙に包まれて到着します。重さでいうとカイコ全部合わせて20g~30gだったそうです。
規模としてはとても小さい農家だったと言えるようです。
小さなカイコは桑の葉をそのまま与えても食べることができません。そのため、小さいカイコには桑の葉を手でちぎって与えました。
育つにつれ、ちぎらずに与えても食べられるようになり、最後は枝を切った状態で与え、それをそのままカイコが食べられるようになります。
カイコの中でも育ちに良し悪しがあり、栄養失調の状態となり大きく育たない子が発生します。この子たちは他の子といっしょにしておくと死んでしまうということで集団からは取り出し、栄養失調の子だけをまとめて「入院患者」を集めたような箱に移します。
ここで小さいときと同じようにちぎった桑の葉を与えると、不思議と成長を始め、最後は他のカイコと変わらない大きさになるまで育ちます。
繭を作り始める大きさにまで育つと、繭を作るための道具に移します。あとはカイコたちが繭を作り終えるのを待つばかり。繭が十分な固さになると出荷となります。
添付画像は、繭を出荷するときに使用していたカゴだそうです。
かなり昔はリアカーの荷台にこのカゴをのせ、綿の袋に入れた繭を納品するために家と納品場所を往復したそうです。耕運機を購入した後は、耕運機の荷台にカゴを載せて運んだとのことです。
残念ながら、子どもでしたので、出荷後の流れは分かりませんでした。昔は自宅で紡いでいたようですが、その作業を見たことはありません。
自分が10歳(1985年)のころには養蚕を止めてしまいましたので、記憶もかなり薄いです。なので、エピソードも私の記憶からはなかなか出てきません。
そのため現在残っている道具を基に、当時どのような作業を行っていたか、両親にも聞きながらたどってみたいと思います。
次回からは、養蚕に使用していた器具をひっぱりだしてきてご紹介したいと思います。ただ、家のどこにどの器具があるのかはっきりしていませんので、ランダムでのご紹介になります。
今回はいきなり納品時に使用していたツールのご紹介になってしまいました。