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オープンカレッジに未来は有るか

教育2.0

さぼ郎
アメリカでは、MITが無料で授業風景を動画にして配信しました。その結果として、授業から得られた知見はともかく、公開されるために教授たちの授業内容が向上したのだそうです。

カーンアカデミー
wiki「カーン・アカデミー」にリンク ↑

綺羅星のごとく登場したのがカーン・アカデミーでした。自分が映像に映るのではなく、そばに寄り添うようにして教えてくれる動画は、とても新鮮でした。gaccoを見ればわかるように、おおかたは放送大学方式で、壇上の賢人が、生徒に向かって物申す方式が多いですよね。

その後、ハーバードやスタンフォードでもオープンカレッジへの取組がなされたという記事を目にしたことが有り、そんな流れをMOOC(Massive Open Online Couses)と呼び、オバマさんも推進しているような話もあった記憶があります。

かく申すワタクシも、gaccoというのに登録してみましたが、ちょっとだけ齧ってそれっきりになっています。思い出せば、その前にiKnowという講座で1年間英語をやろうと思って年払いしましたが、途中でやめました。

モチベーションを持続できなかったことと、学習効果を自らに見いだせなかったことなどが原因でした。

その答えになると思われる記事が有りました。

TC
「オンライン講義のMOOCが大学に取って代わることができない理由」
記事にリンク ↑

長い記事なので要点を言いますと、
モチベーションを持続させることができない
学習に意義を見出せなくなる
働く人々に直結しているコースが少ない

というようなことで、とても賢い人々が苦心して運営している割にはMOOCは成功していないという結論です(少なくとも欧米先進国では成功していない)。

本来、知識は無料で与えられるべきで、獲得した知識を駆使することで我々の経済や社会は作られるべきです。

そしてせっかく、インターネットというツールを手にすることで、無料でいくらでも学習できる時代が来ているのに、どうして成功しないのでしょうか?

しかも、教えてくれるサイトが星のごとくにあるのに。

gacco
gaccoにリンク ↑

gaccoでは、開講期間があって少し前の講座だと「登録は終了しました」と出ます。この意味が分かりません。その内容に鮮度があるかぎりは、いつでも、どこでも、だれでも勉強できなければインターネットでの開講の意味が無いように思うのです。

mooc

世界的に有名なCourseraとUdacityのgoogleでの検索が横ばいだから、記事では「失敗」としています。つまり、右肩上がりで上昇していない。学習に対する意欲が向上していない。興味のある人がぼちぼち持続的に参照しているだけでは、「成功」ではないのだそうです。

トレンド
gaccoの検索トレンド

これはgaccoの検索状況です。CourseraとUdacityの検索が横ばいで「失敗」なら、gaccoは「大失敗」です。最初だけ関心を持たれたけれど、内容も充実してきているのに、検索すらされなくなっています。

TCの記事にも有りましたが、学習することで効果を望むためには、本を読んだり動画を見るだけではだめで、学習に集中し深く深く思索し学習内容や展開されている理論の中に、自分の知識や考えを繋げ、知識をさらに深く掘り下げる中に、新たな理解やら創造的見地に到達したり、あらたなる発見を見出すことが学習の醍醐味だとしています。

発明

しかし、そのためには、学習することが生活の中で優先されなければならないわけですが、社会人にとって、他にも優先しなければならないことが多々ある中、学習をどこまで優先させられるか、どこまで集中できるかが、学ぶポイントになるわけです。

その上、無料なら、ちょっとつまずいたり時間がなくなれば、継続の意義を失うわけです。

そもそも、大学がある理由は、大学に行かなければ得られない学習体験と自己研鑽があるわけですし、学習する適正が前提になっています。さらに、疑義が有れば聞くことが出来る教師が、そこにいることも重要なファクターです。

教師

gaccoなどを見ると、TCの記事にも書かれていますが、優良なコンテンツで学習サイトを作れば、勝手に生徒が集まり、みんな夢中になって学習をすると考えている雰囲気を感じてしまいます。

webを使う以上、webならではの工夫と、モチベーション維持の仕組み、そして学習の意義、あるいは、履修するだけの目に見えるメリットが提示されなければ「教育2.0」は程遠いと思います。

tootle

ワードクラフトも、tootleという「」があるのですが、どのような仕組みを考案することで、教育2.0」と呼びうるサービスに仕立てられるか、日夜、思案中です。

新書のタイトルを講座にし、章立てを単元にして確認テストなど入れながら、著者に掲示板を通じて質問など出来るような教育サイトを社会人向けに、立ち上げたいと思っているのですが、仲間内からは、そのようにしてまで本を読む人はいないと一蹴されています。

しかし、本を読むだけでは、覚えたところで、単なる知識に過ぎず、それすらも反復学習しなければ忘却されていくわけです。

なんのために学ぶのか、学んだ結果としてどうなるのか。

ここに有効な解が見いだせなければ、教育システムとしての仕組みを作ったところで、どうということにもなりません。スマホやタブレット使ってYouTubeで動画流すだけで教育効果をあげられるなら、こんな楽な話はありません。

また、教材をどのように加工したところで、それは単なる「教材」でしかなく、そこに希求がなければ誰も手にしないわけです。

はんこ

gaccoで「統計」でも勉強しながら、どうして、gaccoは成功できないのか考察してみようと思います。提供者としての勘違いが、どこかにあるのでしょうね。教育者にはありがちなことです。

なぜ、それを学ばなければならないのか
と同時に
それを学んだ結果、何が変わるのか

この2点が示されない限り、教育システムは、きっとうまくいかないのだと思います。

その昔、「SP分析」という手法があるのに驚いたことがあります。「S」は生徒で、「P」は教材のことだそうですが、学校教育、特に公教育で一番のファクターは「T」、つまり先生に有ると思うのですが、このファクターは分析しないのだそうです。
英検準1級以上相当の英語力を有している教員は小学校が0.8%、中学校の英語担当教員が27.9%、高校の英語担当教員が52.7%
本で読む「適塾」などを見る限り、教育の本質は、教材の出来や教育のシステムよりも、「生徒の適性」と「教師の人格」と「切磋琢磨」に依存していることは自明です。

教育システムで、一番、システムになりにくい部分を、どのように解決するかが「教育2.0」のカギだと思います。

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