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あれこれ

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柳橋探訪と朗読会

たけくらべ

さぼ郎
ルーサイトギャラリー

ルーサイトギャラリー

先週の土曜日(2月1日)、柳橋のルーサイトギャラリーで、「たけくらべ」の朗読会があり、柳橋の風情の中で、じっくり味わってきました。

朗読会

まず、場所ですが、「柳橋」というと江戸時代は、
柳橋に芸妓が登場するのは文化年間(1804年-1817年)で、上田南畝の記録によると14名が居住していた。天保13年(1842年)、水野忠邦による改革で深川などの岡場所(非公認の花街、遊廓)から逃れてきた芸妓が移住し、花街が形成される。やがて洗練され江戸市中の商人や文化人の奥座敷となった。
とのことで、主として旗本が遊んだと書かれているものを読んだことがあります。山本周五郎の小説にも「柳橋物語」というのがあります。

山本周五郎

明治になると新橋に花街ができて「柳新二橋」などと言われていたようですが、格は柳橋の方が上だったようです。

明治になってからの客筋は、ほぼ商が5割、髭3割、雑2割(商は実業家、相場師、銀行家など。髭は、政治家、軍人、弁護士など。雑は、俳優、力士、芸人など)とwikiに書かれています。

昭和3年(1928年)には、料理屋、待合あわせて62軒、芸妓366名の大規模を誇ったとありますが、いまはかろうじて伊藤博文が利用した「亀清楼」が鉄筋コンクリートのマンションの下に残っているだけです。

芸者というよりは歌手として有名だった「市丸」姐さんは、近衛文麿の愛人だったそうです。

市丸姐さん

市丸姐さんの、隅田川沿いのお屋敷を改造してギャラリーとして使っている「ルーセント・ギャラリー」の2階の広間で朗読会が開かれました。

読み人

読み人は、原書のままの朗読でしたので、大変格調が高かったのですが、ところどころ意味がわかりませんでした。事前に現代訳を読んでおいたので良かったです。

ひさびさ、文学に触れることができ、文学の圧倒する力を再認識させられました。

しかし、100年で、こうも書き言葉が変わるものなんですね。100年後の日本の書き言葉はどうなっているのでしょうか。

窓から隅田川を眺めると、

隅田川

もう少し左を見ることができたら、スカイツリーが見えます。柳橋が花街として廃れた背景は、いくつかありますが、その一つが護岸工事だったそうです。

ヨーロッパの街並みと違って、破壊の上に刷新をすることが成長の証でもあったわけで、1000兆円の借金のカタとして作り上げられた景観ですね。

ちなみにワルシャワでは、戦争が終わってから元の街を再現するために戦前の絵とか写真を元に復興したそうですが、考え方が違うのでしょうね。

睨まれたら睨み返す国になりつつある感じですね。左の頬を打たれたら、右の頬を打たせるという人もありました。

上に立つ人、多くの関心を集める人の言動の与える影響は大きく、例えばカッポウギが3倍も売れたようです。

時代の中で、人々の考えは変わっていく。しかし、時として立ち止まって周りを眺めることも必要かもしれません。

難しい言葉で書かれているけれど、でも、人間としての機微はそんなに変わらないはずです。

それを伝えてくれるのも文学の力なのでしょうね。

夭逝した作家たち
アン・ブロンテ(29歳)
エミリー・ブロンテ(30歳)
レイモン・ラディゲ(20歳)
石川啄木(26歳)
金子みすゞ(26歳)
北村透谷(25歳)
小林多喜二(29歳)
立原道造(24歳)
中原中也(30歳)
樋口一葉(24歳)

人生って、芸術家にとっては長さじゃないんですね。

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